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2012年07月08日

三度ずれている二条城

 二条城を造ったとき、徳川幕府は、その頃西欧から入った最先端技術を駆使しているのだが、なぜか二条城は、京都の街割りと比較して、三度ずれている。これは堀川通を歩いてみれば、すぐに分かっる。
 つまり、磁石(方位磁針)を用いて、方位を決定したのだが、ここに落とし穴があった。つまり、「磁石の指し示す方位は、毎年周期的に変化する・・・これを偏角という」 のだが、これが当時は未だ知られていなかったために起きてしまったのが、三度のずれなのである。
 「 元離宮二条城。慶長7(1602)年、徳川家康の命により建てられた。京都の守護と上洛の際の宿所がその目的で、二条新御所などと呼ばれ、はじめは小規模のものであった。
 家康の征夷大将軍の拝賀および二代秀忠の将軍宣下は、ここで行われた。 その後も造営は続けられ、伏見城の遺構をここに移し、寛永3(1626)年、三代将軍家光が、ここに後水尾天皇を迎えた頃、その規模はもっとも拡大され、五層の天守閣も備えていた。しかし、その後(1750年)、雷火のため天守閣を焼失した。
 慶応3(1867)年、十五代将軍慶喜が、この城中で大政奉還を決意した。

 二条城二の丸庭園は池を中心とした庭で、三つの島を置き、四つの橋を架け、西北隅に滝を落とし、池の汀に多くの岩石を配した景観は変化に富んで秀麗であり、豪壮な趣がある。書院造りの大建築に伴う庭園の特徴をよく示していると云われる。 」
 「 天守閣跡から眺めた二の丸とその背景は比叡山である。
 京都の寺の庭園の借景には必ずと言っていいほど比叡山が遠景として見えている。 」
 「 実は京都には二条城は二つあった。 一つはこの二条離宮であり、もう一つは、これより先に織田信長が足利義昭のために造った二条御所である。烏丸通と丸太町通が交差する西北の区域、今は平安女学院のある辺りにあった。これは近年、地下鉄工事の時に遺跡が見つかっている。
 しかし、信長自身は本能寺を京都での定宿としていた。寺と言っても、当時、市内最大の寺であり、かつ防衛力を持った寺でもあった。二条城に近いということも理由の一つだった。

 二条城には枝垂桜の多い西側の並木と山桜の多い北側の桜並木がある。
 山桜の散り始めた頃(例年なら4月初旬だが、今年は開花が早かったので、3月下旬)、枝垂桜が咲き始める。
 夜にはライトアップもしているらしいが、酒の持ち込みは駄目だろうから行ったことはないが。さぞ、幻想的な眺めであろう。
 他にライトアップされている名所としては清水寺、高台寺などがある。 」

〒604-8301 京都府京都市中京区二条城町541

  
タグ :洛中


Posted by koyuki at 07:00Comments(0)京都の庭園