2013年02月16日
梅宮大社・梅の木
「凡そ千三百年前、橘氏の祖諸兄公の母県犬養三千代が、山城国綴喜郡井出寺の中に橘氏一門の氏神として始めてお祀りした。その後、聖武天皇の妃光明皇后が之を祀り、度々所在を転じたが、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子(壇林皇后)によって今の神域に移し祀られ自ら御幸して、お祭りになったのが有名な梅宮祭の起源である。」
「梅津は王朝時代には王公貴紳の別荘が多く造られた処で、源師賢の山荘もその一つであった。大納言源経信が 『夕されば門田の稲葉訪れて芦のまろやに秋風ぞ吹く』 とうたったのは師賢の山荘に招かれた時のものであって、この歌は夕方になると門前の稲葉をそよそよと音をさせ、芦で葺いた田舎家に秋風が吹いている秋の夕暮れの梅津の風景を歌い上げたものである。
さくや池の島にある池中亭は梅津の里に芦のまろやとして今に残る唯一のものであって、風雅な屋根の姿が他に類を見ない素晴しさである。」 梅宮大社由緒略記より
約35種550本の梅が境内の至る所に植えられており、一本の木に紅白の花が咲く「思いのまま」や遅咲きの「盤上の梅」などの珍種も多い。
3月2日には「うめ」にちなんで、子宝・安産を願う「梅産祭」が開催される。宮司が実を摘んだ梅干しが「招福梅」(500円)としてお土産に売られている。
梅宮神苑は、梅の頃もいいが、咲耶池を覆うように咲く杜若(カキツバタ)の頃(5月上旬)もいい。
5月下旬から五月が咲き始め、花菖蒲が咲いた後、6月中旬には紫陽花も楽しめる。
->梅宮大社
〒615-0921 京都府京都市右京区梅津フケノ川町30
「梅津は王朝時代には王公貴紳の別荘が多く造られた処で、源師賢の山荘もその一つであった。大納言源経信が 『夕されば門田の稲葉訪れて芦のまろやに秋風ぞ吹く』 とうたったのは師賢の山荘に招かれた時のものであって、この歌は夕方になると門前の稲葉をそよそよと音をさせ、芦で葺いた田舎家に秋風が吹いている秋の夕暮れの梅津の風景を歌い上げたものである。
さくや池の島にある池中亭は梅津の里に芦のまろやとして今に残る唯一のものであって、風雅な屋根の姿が他に類を見ない素晴しさである。」 梅宮大社由緒略記より
約35種550本の梅が境内の至る所に植えられており、一本の木に紅白の花が咲く「思いのまま」や遅咲きの「盤上の梅」などの珍種も多い。
3月2日には「うめ」にちなんで、子宝・安産を願う「梅産祭」が開催される。宮司が実を摘んだ梅干しが「招福梅」(500円)としてお土産に売られている。
梅宮神苑は、梅の頃もいいが、咲耶池を覆うように咲く杜若(カキツバタ)の頃(5月上旬)もいい。
5月下旬から五月が咲き始め、花菖蒲が咲いた後、6月中旬には紫陽花も楽しめる。
->梅宮大社
〒615-0921 京都府京都市右京区梅津フケノ川町30
2013年02月11日
名倉山
福島県の会津若松市にある名倉山酒造の純米吟醸酒「善き哉」だ。 飲んだのは福島市の日本酒バー「駄愚栖」だったが。(ダックスと読む)
名倉山酒造は東北鑑評会では十年連続で金賞を受賞しているそうだが、京都ではなかなか手に入らない。
透き通ったその酒は、米本来の旨みが口の中に広がるが、のど越しは爽やかだ。 アテには自家製のからすみを大根にのせて頂いた。酒がすすんで困った。
2013年02月10日
法輪寺からの名望
正法寺、長楽寺、そしてここ法輪寺も西行ゆかりの寺である。
元は元明天皇勅願、行基菩薩建立の阿弥陀仏を本尊とする葛井寺であった。平安初期に中興の祖、道昌(ドウショウ)が虚空蔵菩薩を本尊とし祀り、法輪寺と改称して本堂を建てたと寺伝にある。
寺の前にある大堰川(桂川)が氾濫したので、道昌がその水を治めて農業用水として利用した。この恩恵を受けた農民は農地から得る収穫物を今でも法輪寺に供えるという。
京都では(旧くは)法輪寺といえば「十三参り」の寺として知られる。「十三」というのは「十三仏」の十三番目が虚空蔵菩薩であるところからきている。
十三歳になった男女が、法輪寺の虚空蔵菩薩に参り、知恵と福徳を授かるという信仰である。しかし、男の子より女の子の「衣装比べ」の方が有名で、この日も綺麗な振袖を着た女の子に会った。
法輪寺からは、京都の街がよく眺められる。桂川の向こうには大覚寺、仁和寺も見渡せる。遠くには比叡山や清水寺も見える。
私は京都で高いところに登ったときは、いつも京都タワーを探すのだが、勿論ここからも小さく見える。
ここへ来るには渡月橋を渡らなければならない。橋の向こう側(写真の右側)が現世で、こちら側が「あの世」であり、二つを結ぶのが渡月橋である。お参りが済んだ後は、振り返らずに橋を渡らなければいけない。
この橋の名前は、昔は法輪寺橋と呼んでいたらしいが、亀山上皇が丹朱を塗った美しい橋が水に映る姿に見惚れて「満月の渡るに似ている」として「渡月橋」と名づけたと伝えられる。秋の満月の時に、橋の上で月を見上げているとその名の通りを体験できる。
〒616-0006 京都府京都市西京区嵐山虚空蔵山町68−3
元は元明天皇勅願、行基菩薩建立の阿弥陀仏を本尊とする葛井寺であった。平安初期に中興の祖、道昌(ドウショウ)が虚空蔵菩薩を本尊とし祀り、法輪寺と改称して本堂を建てたと寺伝にある。
寺の前にある大堰川(桂川)が氾濫したので、道昌がその水を治めて農業用水として利用した。この恩恵を受けた農民は農地から得る収穫物を今でも法輪寺に供えるという。
京都では(旧くは)法輪寺といえば「十三参り」の寺として知られる。「十三」というのは「十三仏」の十三番目が虚空蔵菩薩であるところからきている。
十三歳になった男女が、法輪寺の虚空蔵菩薩に参り、知恵と福徳を授かるという信仰である。しかし、男の子より女の子の「衣装比べ」の方が有名で、この日も綺麗な振袖を着た女の子に会った。
法輪寺からは、京都の街がよく眺められる。桂川の向こうには大覚寺、仁和寺も見渡せる。遠くには比叡山や清水寺も見える。
私は京都で高いところに登ったときは、いつも京都タワーを探すのだが、勿論ここからも小さく見える。
ここへ来るには渡月橋を渡らなければならない。橋の向こう側(写真の右側)が現世で、こちら側が「あの世」であり、二つを結ぶのが渡月橋である。お参りが済んだ後は、振り返らずに橋を渡らなければいけない。
この橋の名前は、昔は法輪寺橋と呼んでいたらしいが、亀山上皇が丹朱を塗った美しい橋が水に映る姿に見惚れて「満月の渡るに似ている」として「渡月橋」と名づけたと伝えられる。秋の満月の時に、橋の上で月を見上げているとその名の通りを体験できる。
〒616-0006 京都府京都市西京区嵐山虚空蔵山町68−3
タグ :洛西
2013年02月09日
盛岡の柳家にて
盛岡へ行った時、大通り(繁華街)にある地元では有名なラーメン店「柳家」で、「キムチ納豆ラーメン」なるもの(写真)を食べてきました。
大通りに面している書店が1Fにあるビルの3階奥に本店はあるのだが、お昼から夕方(16時)までしかやっていないので、2号店で食べました。 確かに味噌ラーメンの上にモヤシとキムチと、そして納豆が生卵といっしょにのっかっていました。これをかき混ぜて食べるのだが、美味しかったですね。見た目より、ジャンクではなく。
何年か前にコンビニで期間限定のカップ麺としても売られていたそうです。
大通りに面している書店が1Fにあるビルの3階奥に本店はあるのだが、お昼から夕方(16時)までしかやっていないので、2号店で食べました。 確かに味噌ラーメンの上にモヤシとキムチと、そして納豆が生卵といっしょにのっかっていました。これをかき混ぜて食べるのだが、美味しかったですね。見た目より、ジャンクではなく。
何年か前にコンビニで期間限定のカップ麺としても売られていたそうです。
2013年02月03日
東山の長楽寺
建礼門院ゆかりの寺として知られる。平清盛の娘として、高倉天皇の中宮となり、安徳天皇を生み、壇ノ浦の戦いで安徳天皇や清盛の妻(二位尼)とともに入水したが死にきれず、源氏に捕らえられた建礼門院が、この寺の印西上人を戒師として剃髪したと伝えられる。「平家物語」
印西は「源平盛衰記」において、「知恵第一」の法然に対して、「慈悲第一」の僧とされている。
印西の後にここに住んだのが法然の弟弟子にあたる隆寛である。隆寛は法然の「専修念仏」擁護の本を書き、親鸞もこの隆寛の著書を愛読した。
寺に伝わるものに建礼門院の御影がある。しかし、この御影、赤外線写真でしか見ることができない。当時、建礼門院の御影を掛けることは源氏や北条氏にはばかられたため、墨で真っ黒に塗り潰して密かに拝んだのだろう。
紅葉の美しい寺である。裏山の長楽寺山を背景にした庭は、紅葉の時期が特に美しい。
裏山には石組みに石仏を組み込んだ行場があり、一条の滝が落ちている。
裏山を少し登った辺りからは京都市街が眺められる。
縁先に腰掛けて紅葉した庭をゆっくりと眺めた後、裏山へ登ってみた。散りつもるもみじを踏まないようにと思いつつ歩いていると、先へゆくほどに落ち葉が道をおおい、道そのものが失われてしまった。踏むのが惜しいので、そこからは引き返すことにした。
〒605-0071京都府京都市東山区八坂鳥居前東入円山町626
印西は「源平盛衰記」において、「知恵第一」の法然に対して、「慈悲第一」の僧とされている。
印西の後にここに住んだのが法然の弟弟子にあたる隆寛である。隆寛は法然の「専修念仏」擁護の本を書き、親鸞もこの隆寛の著書を愛読した。
寺に伝わるものに建礼門院の御影がある。しかし、この御影、赤外線写真でしか見ることができない。当時、建礼門院の御影を掛けることは源氏や北条氏にはばかられたため、墨で真っ黒に塗り潰して密かに拝んだのだろう。
紅葉の美しい寺である。裏山の長楽寺山を背景にした庭は、紅葉の時期が特に美しい。
裏山には石組みに石仏を組み込んだ行場があり、一条の滝が落ちている。
裏山を少し登った辺りからは京都市街が眺められる。
縁先に腰掛けて紅葉した庭をゆっくりと眺めた後、裏山へ登ってみた。散りつもるもみじを踏まないようにと思いつつ歩いていると、先へゆくほどに落ち葉が道をおおい、道そのものが失われてしまった。踏むのが惜しいので、そこからは引き返すことにした。
〒605-0071京都府京都市東山区八坂鳥居前東入円山町626
タグ :洛東
2013年02月02日
福島の円盤餃子?!
福島へ行って来ました。そこで福島市と言えば、円盤餃子? と聞いたので、さっそく元祖・円盤餃子の店「満腹」へ入店。
餃子が出てくるまで(20個入りを注文)、モツ煮込みをアテにビールを飲みながら待ちました。
10分くらいで出てきました。確かに円盤餃子だ。(写真) 20個は多いか、少ないか?見た目よりあっさりしているので、20個くらいならぺろっといけちゃいますね。ビールを飲みながらなら、私にはちょうどいいくらいでした。
この後は、日本酒バーで、福島の酒を堪能してきました。
餃子が出てくるまで(20個入りを注文)、モツ煮込みをアテにビールを飲みながら待ちました。
10分くらいで出てきました。確かに円盤餃子だ。(写真) 20個は多いか、少ないか?見た目よりあっさりしているので、20個くらいならぺろっといけちゃいますね。ビールを飲みながらなら、私にはちょうどいいくらいでした。
この後は、日本酒バーで、福島の酒を堪能してきました。