2013年06月02日
隨心院の梅
仁海僧正が建立した曼茶羅寺の子房として創建され、後に御堀河天皇により門跡の宣旨を賜る。
応仁の乱の兵火で堂宇を焼失したが、九条家より入山した増孝門跡によって再興された。
小野小町に思いを募らせ、百夜通いをした深草少将の伝説にちなむ小町榧、小町への恋文が埋められた文塚、小町が化粧したという化粧の井戸など多くの遺跡がある。
左の写真は化粧井戸の前あたりから薬医門を眺めたところ。 この奥に本堂があり、本堂の前には池と苔の庭がある。庭一面に広がる緑の大杉苔は梅雨の頃が最も美しいと云う。
境内に小野梅園があり、三月の最終日曜には「はねず踊り」が催される。薄紅色のことを古くは「はねず」といい、遅咲きの紅梅が境内を薄紅に染め、梅の香りが漂う。
「はねず踊り」は小野小町と深草少将の伝説を踊りにしたものである。
秋はライトアップもされるので、夜に拝観(6:00~9:00)するのもいいかもしれない。
〒607-8257 京都府京都市Yamashina Ward, Onogoryocho, 35
応仁の乱の兵火で堂宇を焼失したが、九条家より入山した増孝門跡によって再興された。
小野小町に思いを募らせ、百夜通いをした深草少将の伝説にちなむ小町榧、小町への恋文が埋められた文塚、小町が化粧したという化粧の井戸など多くの遺跡がある。
左の写真は化粧井戸の前あたりから薬医門を眺めたところ。 この奥に本堂があり、本堂の前には池と苔の庭がある。庭一面に広がる緑の大杉苔は梅雨の頃が最も美しいと云う。
境内に小野梅園があり、三月の最終日曜には「はねず踊り」が催される。薄紅色のことを古くは「はねず」といい、遅咲きの紅梅が境内を薄紅に染め、梅の香りが漂う。
「はねず踊り」は小野小町と深草少将の伝説を踊りにしたものである。
秋はライトアップもされるので、夜に拝観(6:00~9:00)するのもいいかもしれない。
〒607-8257 京都府京都市Yamashina Ward, Onogoryocho, 35