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2013年06月30日

弘法さん

  正式名は教王護国寺と言う。真言宗の総本山。796年、平安京遷都とともに羅城門の東に桓武天皇が官寺として創建した。後の822年に空海(弘法大師)が嵯峨天皇より賜って、真言宗の根本道場とした。
 創建当時は、この東寺と対をなす西寺があり、都の鎮守とされたが、西寺の方は西寺跡に石碑が残るのみとなっている。
 東寺の辺りは京都の下町であり、庶民的な商店街となっている。
 弘法大師に対する庶民の信仰はふかく、毎月二十一日の大師の命日(御影供)は「弘法さん」と呼ばれ、数万人の参詣者で賑わう。
 京都のシンボルとして有名な五重塔(国宝)は高さ約五十五メートルでわが国最高の塔である。
 私も出張などへ行っていて車窓から五重塔が見えると帰ってきたという気がする。
 この秋(2003年11月1日から10日)、特別拝観として五重塔の1層部分(初層内部)が公開されていたので、拝観した。 1層部分には心柱(支柱:大日如来)を囲んで4体の如来様が安置されていた。
 五重塔は空海が建立してから四度焼亡し、現在の五重塔は1644年に再建されたものである。 多くの部材で積み上げられた塔は、年を経るごとに乾燥し収縮するが、独立した心柱は収縮しないので、心柱のみが突き出てしまう。そこで、心柱を切り下げて調整するらしく、その跡(切った跡)が残っている部分も公開されていた。
 弘法さんの日は境内が開放されて、骨董や古布、植木、掛け軸などを売る店が所狭しと並ぶ。他にもお祭りのような屋台や道具屋、乾物、金物、薬、ありとあらゆる店が建ち並ぶ。 境内は参詣者と買い物客、観光客でごった返す。
 ここでしか見ることができなくなったような品物も売られている。冷かして歩くだけでも楽しいが、人の多さに圧倒される。外人さんもちらほら混じっている。最近では外人さんが店を出していることもある。一度くらい来ただけでは、どの辺にどんな店があるのかは覚えられないが、金堂の前には骨董が並んでいる。
 母方の祖父母が近くに住んでいたので、小さい頃ときどき連れてきてもらった覚えがある。
 広い境内は普段はがらんとしているのだが、弘法さんの日だけはべつである。 久しぶりに行ってみたが、人の多さは昔と変わっていなかった。
 東寺の売店では曼荼羅をデザインした密教グッズを売っている。人気は金剛界、胎蔵界の2枚組み曼荼羅ポスターであるらしい。
 金堂内に祭られた本尊は薬師三尊であるが、これは奈良仏教の名残りである。
 金堂と平行して建つ講堂内には空海が構想した二十一体の仏像が立体曼荼羅として表現されている。 金堂と講堂内は有料となっている。(500円)

 ここから歩いて5分くらいのところに羅生門の跡として公園の中に標石が建てられている。興味のある方は行ってみることをお薦めする。

 近くに京菓子の老舗・笹屋伊織の本店があり、月に一度、弘法さんの日だけ「銘菓・どら焼き」が売られている。

 〒601-8473 京都府京都市南区九条町1  
タグ :洛南洛外


Posted by koyuki at 07:00Comments(0)京都の庭園

2013年06月29日

鶏カツ弁当

 京都駅で売っている侘家古暦堂の鶏カツ弁当だ。 ふわふわ卵と鳥そぼろにカレー味のキャベツがご飯の上に敷いてあって、その上に鶏カツがのっかっている。1,000円にしては、なかなか美味しいと評判の弁当だ。  

Posted by koyuki at 07:00Comments(0)駅弁

2013年06月23日

浄瑠璃寺の桔梗

 別名を九体寺とも云う。
 平安時代後期(藤原期)の浄土式寺院であり、西に極楽浄土の阿弥陀如来を、東に東方浄瑠璃浄土の薬師如来、中央に宝池をおいて美しい浄土を表している。
 阿弥陀堂には九体仏が祀られている。
 まず東の薬師仏に現世の苦悩救済を願い、振り返って池越しに彼岸の阿弥陀仏に来迎を願うという礼拝の形をとる。
東の薬師如来は三重塔に安置されている。
 加茂駅から岩船寺までバスに乗り、岩船寺から浄瑠璃寺までは山道を30分程だが歩いてみた。
 途中に石仏がいくつかあり、これらを見て歩く。
 浄瑠璃寺の参道脇の店に入ってビールと山菜そばを注文する。 九体仏の前で聞かせていただいた和尚さんの話を思い出しながら遅い昼食をすませた。
 唐突だが、阪神淡路の震災で亡くなった方がおおよそ5千人、毎年交通事故による死者が1万人、そうして毎年自殺する人が2万人だと何かで読んだ。
 自分の命を粗末に扱う人達が増えた分、人の命も粗末に扱われるのか残虐な殺人事件が後を絶たない。痛ましい報道を聞く度に胸が痛み、怒りが湧いてくる。
 人よもっと寛(ゆるや)かになれとつぶやいてみる。
 人は泣きながら生まれてきて、一歩一歩死に向かって歩いている。この世は地獄のようにも見えるが、そんな中でたまに救われたような思いがする時がある。これが極楽かもしれない。人は生きているだけで尊い存在であり、何を成したかは二の次である。
 宝池のほとりに桔梗が咲いていた。
 桔梗は秋の七草に入っているので,秋の花と思う方もいるかも知れませんが、花は梅雨時から咲き初め、一ヶ月ほど咲きつぎ、秋に二度目の花を咲かせます。
 もう少しすると本堂の前にサルスベリの木があって、赤い花をにぎやかに咲かせてくれます。

 〒619-1135 京都府木津川市加茂町西小札場40  


Posted by koyuki at 07:00Comments(0)京都の庭園

2013年06月22日

赤羽のすみた

 先月(5月)、赤羽の「すみた」で久しぶりにうどんを食べた。お昼時だったので、行列ができていた。 今回食べたのは「あさりバターうどん」。釜玉風に麺にバターをからめて食べるのかと思ったら、かけうどんだった。  

Posted by koyuki at 07:00Comments(0)麺類

2013年06月16日

谷性寺のあざみ

  「こくしょうじ」と読む。通称「光秀寺」と呼ばれている。 鎌倉時代の創建と云われる真言宗の古刹で、大覚寺派に属し、不動明王を本尊としている。
 6月の梅雨の晴れ間に亀岡まで出掛けた。信長ゆかりの地を訪ね歩くうちに、明智光秀ゆかりの地にも興味が湧いてきて、ここ谷性寺まで来てしまった。交通の便があまりよくない。亀山から園部へ向かうバスは、途中旧道を通る。
 その日は、まず亀岡城へ寄った。石垣は修復されていたが、今は宗教法人・大本の所有地となっているため、天守跡へは入れない。ここも明治政府の廃城処分により、天守は解体され、土地は払い下げられた。当時、市には財力がなく、何度か転売され、現在に至っている。
  『天正年間、明智光秀公は八上城攻略のみぎり、御本尊の不動明王をあつく尊崇し、将士はその加護を得た』と寺伝にある。
 また、『天正十年(1582)六月十三日、光秀公は秀吉の軍と山崎に戦い敗れ、坂本城に向かう途中、山科小栗栖に於いて土民に襲われる。溝尾庄兵衛、公の介錯をなし、首を藪の中に隠し坂本に走る。後に近臣首を生前公の尊崇のあった本寺不動明王のそばに葬る』とある。
 光秀公首塚は『幕末の志士「栄」なる人、公の怨念を鎮めんが為、安政二年(1855)七月碑を建て供養』されたときのものである。 庭園には基礎は欠くが室町時代の宝筐印塔が飾られ、同時代の石仏がひっそりと佇んでいる。参道右側には栂尾高山寺からその種を受け継いだとされる茶園がある。 あざみの花が、谷性寺の前の土手にたくさん咲いていました。
 光秀はなぜ信長を討ったか。諸説ある。怨恨説、天下欲しさの反逆、足利将軍義昭の関与説、朝廷の命。 だが、私にはどれも腑に落ちない。 光秀は決意を固めた後、ここ谷性寺にて、良民を救うための「一殺多生の剣を授け給え」と祈願したと云う。

 〒621-0241 京都府亀岡市宮前町猪倉土山39  
タグ :洛南洛外


Posted by koyuki at 07:00Comments(0)京都の庭園

2013年06月15日

岡山駅西口のさくら

 久しぶりに岡山駅西口にあるうどん店「さくら」で日替わり定食(ぶっかけうどんとデミカツ?)を食べた。 ここの麺は細麺だがコシがあって美味しい。
 岡山駅の西口へ出て、通りを渡ったところにあるのだが、その西口筋を北へ行った岡山街道沿いにも丸に「ぶ」と書いた「ぶっかけのふるいち」といううどん店がある。あっちは太麺だが、これもまた旨い。  

Posted by koyuki at 07:00Comments(0)麺類

2013年06月09日

岩船寺の紫陽花

 創立は729年、聖武天皇が出雲の国不老山大社に行幸の時、霊夢によって、この地に阿弥陀堂の建立を発願されたと寺のしおりに書かれている。
 花の寺として知られる。春は桜・つつじ・みやこわすれ、夏は紫陽花・睡蓮・さるすべり、秋は紅葉、冬は梅・みつまた・椿。
 私が訪れたのは初夏(6月下旬)だったので、境内には所狭しと紫陽花が咲いていました。池には睡蓮の花も見られました。
 JRの加茂駅から岩船寺行きのバスに乗り、下車してすぐのところにあります。
 三重塔と本堂の間にある池のほとりにも紫陽花が咲いていました。
 池には小さな睡蓮の花が咲いていました。
 バスの本数も限られているのですが、たくさんの観光客が来ていました。 カメラを片手に境内を散策する人も多いようでした。
 重要文化財に指定されている十三重石塔の横にも額紫陽花が咲いていました。
 ここから山道を徒歩で30分程歩いたところに浄瑠璃寺があります。
 天気も良かったので、途中、石仏めぐりをしながら浄瑠璃寺まで歩いてみました。 途中で逆のコースから来られた御年配の夫婦に出会いました。
 大きな岩肌に彫られた阿弥陀三尊磨崖仏(笑い仏)等や野花を見ながらの道程は、少しも苦にはなりませんでした。

 〒619-1133 京都府木津川市加茂町岩船上ノ門43  


Posted by koyuki at 07:00Comments(0)京都の庭園

2013年06月08日

ひっぱりだこ飯

 山陽新幹線・西明石駅で売られている駅弁・ひっぱりだこ飯だ。(通称・たこ飯) これは、明石と淡路島を結ぶ明石海峡大橋開通を記念して造られた。
 容器は、実際の蛸漁で使われる蛸壺を模して独自に焼き上げたものらしい。
 中身(写真2枚目)は明石海峡近海でとれた明石だこと呼ばれる真ダコのうま煮や穴子のしぐれ煮、蛸天などを添えた炊き込みご飯だ。
 そのままでもいいが、家でなら電子レンジで温めると尚美味しい。  

Posted by koyuki at 07:00Comments(0)駅弁

2013年06月02日

隨心院の梅

 仁海僧正が建立した曼茶羅寺の子房として創建され、後に御堀河天皇により門跡の宣旨を賜る。
 応仁の乱の兵火で堂宇を焼失したが、九条家より入山した増孝門跡によって再興された。
 小野小町に思いを募らせ、百夜通いをした深草少将の伝説にちなむ小町榧、小町への恋文が埋められた文塚、小町が化粧したという化粧の井戸など多くの遺跡がある。
 左の写真は化粧井戸の前あたりから薬医門を眺めたところ。 この奥に本堂があり、本堂の前には池と苔の庭がある。庭一面に広がる緑の大杉苔は梅雨の頃が最も美しいと云う。
 境内に小野梅園があり、三月の最終日曜には「はねず踊り」が催される。薄紅色のことを古くは「はねず」といい、遅咲きの紅梅が境内を薄紅に染め、梅の香りが漂う。
 「はねず踊り」は小野小町と深草少将の伝説を踊りにしたものである。
 秋はライトアップもされるので、夜に拝観(6:00~9:00)するのもいいかもしれない。

 〒607-8257 京都府京都市Yamashina Ward, Onogoryocho, 35  
タグ :洛南洛外


Posted by koyuki at 07:00Comments(0)京都の庭園

2013年06月01日

森下の名物居酒屋

 久しぶりに森下(地下鉄大江戸線)の山利喜で飲んできました。 ここはビールや焼酎もいいが、ワインも置いている。 アテはホタルイカのサラダ(写真1枚目)と春の五店盛りだ。 その他にも、ここの名物のモツ煮込みにモツ焼き・・・。
  

Posted by koyuki at 07:00Comments(0)居酒屋