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2013年10月27日

総見院

 総見院は大徳寺の二十二塔頭の一つである。秀吉は信長の葬儀を大徳寺で執り行い、菩提寺として総見院を建立した。
 安土城の城内にも同じ名前の寺(総見寺)があったが、その関係はわからない。信長はその晩年、自らを天皇に代わって神体・神仏とならんとした。信長の聖なる誕生日には毎月、総見寺に参詣するよう布告した。
 戦において大将が討死ねば全軍は壊滅する。だから信長は越前での戦いのときも、長島での一向宗徒の逆襲の際もなりふりかまわず逃げ帰ったのであった。しかし、その信長がなぜ本能寺では「是非に及ばず」(信長の口癖であった)として、女たちを落ち延びさせた後、火の中に身を投じたのか。
 大徳寺での葬儀の際、信長の遺体は存在しなかった。本能寺で灰となり、遺体は見つかっていなかったからだ。かわりに今も木像が安置されている。
 創建当時の建造物で今も残っているのは正門と土塀、鐘楼のみである。後は明治初年の廃仏毀釈により灰と化した。今の伽藍は大正年間に再興されたものである。
 信長は父親が急逝し、織田家を継いでから戦に継ぐ戦の日々であった。天下を統一する一歩手前で、無二の腹心であった光秀に裏切られるまで、走り続けた。
 一族の墓を見た後、何か信長を偲ぶものはないかと胡蝶侘助の前で足を止めた。しかし、樹齢四百年の椿も秀吉が愛したと伝えられるものである。木像は公開されていない。
 本能寺の変のとき、信長は四十九歳。彼が好んだ敦盛の一節が浮かんで消えた。
  「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻・・・」  
タグ :洛北


Posted by koyuki at 07:00Comments(0)京都の庭園

2013年10月26日

熊本の凡蔵で讃岐うどん

 熊本の通町筋(ホテル日航の横)に新しくできた讃岐うどんの店だが、元は向かい側の鶴屋の中にあったそうだ。この日は暑かったので、つけ麺を食べた。
 大阪の滝井にも凡蔵と言う名前の讃岐うどんの店があったが?  

Posted by koyuki at 07:00Comments(0)麺類

2013年10月20日

大仙院

 室町時代に創られた寺であり、建築、庭園、絵画に当時栄えた禅文化を充分に今日に伝えている。
 大聖国師によって創建された大徳寺北派の本庵と呼ばれ、大徳寺塔頭の中でも、特に地位の高い名刹である。
 京都は外国から来た観光客も多い。 この日はフランスから来られた老夫婦に出会った。
 二人が腰掛けている縁の右手に伸びている細い木が沙羅双樹である。
 沙羅は梵語のSalaに通じ高遠の境を意味する。
   
タグ :洛北


Posted by koyuki at 07:00Comments(0)京都の庭園

2013年10月19日

みのやの納豆うどん

 熊本の通町筋にある「みのや」で食べた納豆うどん(ぶっかけ)だ。 ここはお世辞にも綺麗とは言えない店構えと店内だが、いつもお昼時は地元の客でにぎわっている。  

Posted by koyuki at 07:00Comments(0)麺類

2013年10月14日

大徳寺

 大徳寺には、普段一般公開されている塔頭(大仙院、高桐院、瑞峯院、龍源院)の他に春秋の特別拝観時には本坊と聚光院、芳春院等が公開される。
 夢窓疎石と並ぶ禅林の双璧とうたわれた大燈国師の創建。応仁の乱で衰退後、一休宗純が再興した。
 大徳寺は紫野にある。「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る・・・」に歌われえた紫野は近江の蒲生野であったが、紫野とは紫草(薬草)が生えている野を言う。薬狩りの場であり、皇室や貴族の猟をする禁野とは、つながっていた。京に都が移されたとき、今は大徳寺があるあたりが紫野として指定された。
 大燈国師が定めた寺規十カ条は、勤行、座禅、粥飯、学問の時をきめ、その最後には一日これを怠れば一日食うべからずとある。大徳寺境内を歩くとき、そのきびしさが今も残っているのを感じる。
 塔頭とその庭(拝観できるのは限られているが)を見るとき、そんな禅風を感じ、枯山水であるのに何故か心に潤いを覚える。
 大燈国師と花園天皇との問答の中に次のような言葉がある。 「億劫相別れて、須臾も離れず。」 意は、二人は(その一方は死者かもしれない)何億年も別れているが、しかしほんの一瞬も離れてはいないということらしい。いろいろな解釈ができるが、禅の道でいうならば、真理を得れば(解脱)、釈迦とも離れてはいないということになる。私はこの言葉が好きだ。
 トンチで知られる一休さんは大燈国師の法孫である。後小松天皇のご落胤だったとされている。
 写真は芳春院の庭園とその奥が京都四閣の一つ呑湖閣(ドンコカク)だ。

〒603-8231 京都府京都市北区紫野大徳寺町53  
タグ :洛北


Posted by koyuki at 07:00Comments(0)京都の庭園

2013年10月13日

三角山五右衛門ラーメン

 札幌にある三角山五右衛門ラーメンを偶然、筑波でやっていた北海道物産展で食べて来ました。 ここは屋台の醤油ラーメンが売りの店だが、この日は味噌ラーメンを食べてきました。 雑誌「北海道ウォーカー」のラーメンランキングで しょうゆラーメンが醤油部門で1位になった事もあるそうです。次回は札幌でしょう油味を食べてみよう。  

Posted by koyuki at 07:00Comments(0)麺類

2013年10月12日

鹿児島黒豚ステーキ弁当

 鹿児島産黒豚肉を「3日間赤ワインに漬け込み、秘伝の醤油ダレで焼き上げ」たものらしい。 マスタードをつけて食べたが、美味しかった。 デザートに付いているさつまいものレモン煮も美味しい。 この日は東京駅の駅弁屋で購入した。  

Posted by koyuki at 07:00Comments(0)駅弁

2013年10月06日

今宮神社

 平安初期疫病退散のために疫神を祀ったのにはじまる神社で、大己尊命(オオナムチノミコト)・事代主命(コトシロヌシノミコト)・奇稲田姫命(クシナダヒメノミコト)を祭神とし、素箋鳴命(スサノオノミコト)を摂社疫神社に祀る。今宮の名は古いこの摂社疫神社に対する名称である。
 毎年四月第二日曜に行われる「やすらい祭り」は鞍馬の火祭、太秦の牛祭とともに京都三大奇祭に数えられる。
 桂昌院が寄進した石橋を渡って東参道に出ると、あぶり餅の「かざりや」がある。竹串に刺した餅をおばさんが焼いている。時代劇の茶店風景でよく撮影される場所だ。あぶり餅は一条天皇の時に、今宮神社再興で疫病除けのために供えられたのを初めとする。

 疫厄除けと言えば、京都では主だった神社で6月の終わりに茅輪を置いて、この輪をくぐることで半年間の疫厄を落とすという行事がある。ここ今宮神社でも行われる。
 写真は本殿の前にある枝垂桜。やすらい祭りの頃が見頃となる。

〒603-8243 京都府京都市北区紫野今宮町21  
タグ :洛北


Posted by koyuki at 07:00Comments(0)京都の庭園

2013年10月05日

北うにめし

 八戸線から乗り換えるときに、東北新幹線の八戸駅で買った 「北のうにめし」という駅弁だ。 この日は宮古から三陸鉄道に乗って久慈まで行き、久慈駅のリアス亭でウニ弁当を買う予定だったが、売り切れていたので、ここで 昼飯に「北のうにめし」を買って、東北新幹線の車中で食べました。  

Posted by koyuki at 07:00Comments(0)駅弁