2013年12月23日
清水の舞台
ユネスコの世界遺産リストにも登録されており、京都でも観光客の多いところである。778年に僧延鎮が音羽の滝上に観音を祀ったことに始まり、798年には坂上田村麻呂が仏殿を建立して桓武天皇の勅願寺となったと伝えられる。伽藍の中心となる本堂は1633年に再建された建造物で、「清水の舞台」として知られる。
松風や音羽の滝の清水を
むすぶ心はすずしかるらん
「この世の栄華は夢のようなものです。この尊氏に仏道への志を与え、来世をうまく過ごせるようにして下さい。出家したいと思います。この世の栄華に代えて来世の幸福を頂きたい。この世の栄華は弟の直義に譲ります。直義をお守り下さい」
足利尊氏が南北朝の動乱にて後醍醐を倒し、勝利した後、清水寺に納めた願文である。
源頼朝や徳川家康のように非情の人になれなかった「やさしさ」がこの後の乱世を招くのであるが、私が京都の寺院を回ってみようと思ったのは、そんな彼に興味を持ったからに他ならない。
清水寺が建立された目的は平安京を守護する事であった。桓武天皇は京(山城国)へ都を移すにあたって、いくつかの怨霊封じのためのシステムを導入している。その一つが京の鬼門(北東)に建立された比叡山延暦寺であり、また東西南北に建立させた大将軍社であった。そしてこの清水寺もまた、その一つである。
〒605-0862 京都府京都市東山区清水1丁目294
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