2014年01月12日
清閑寺
802年に紹継法師の創設による。今は小さな庵のような本堂しか残っていないが、「昔は寺域も広く、法華三昧堂や宝塔などが瓦をならべ、鎮護国家の官寺として、東山山中に偉容を誇っていた」寺伝より。 京のお寺の例に漏れず、ここも応仁の乱ですべてを焼失している。
小さな本堂には菅原道真公の作と伝えられる本尊・十一面千手観世音菩薩が安置されている。
平家物語のヒロイン小督局(コゴオノツボネ)が、平清盛に宮中を追われて、この寺で尼にさせられた。局を寵愛していた高倉天皇は、慕情やみがたく、深く心を痛められ「私が死んだら、局のいる清閑寺に葬ってくれ」と遺言され、後に葬儀もこの寺で行われた。
今は六条天皇・高倉天皇の御陵が寺のすぐ側にあり、高倉天皇陵の側に小督局の墓がある。
山科と京都の境に位置し、庭前の要石辺りに立てば京都の街が両側の山と山との間から扇を開いた様に眺望できる。 寺を訪れた日はお盆明けの久しぶりによく晴れた一日だったので、確かに扇を開いたような角度で京の街が見渡せた。開いた扇のちょうど要に大きな石があり、要石と名付けられている。
〒605-0922京都府京都市東山区清閑寺山ノ内町11−1
小さな本堂には菅原道真公の作と伝えられる本尊・十一面千手観世音菩薩が安置されている。
平家物語のヒロイン小督局(コゴオノツボネ)が、平清盛に宮中を追われて、この寺で尼にさせられた。局を寵愛していた高倉天皇は、慕情やみがたく、深く心を痛められ「私が死んだら、局のいる清閑寺に葬ってくれ」と遺言され、後に葬儀もこの寺で行われた。
今は六条天皇・高倉天皇の御陵が寺のすぐ側にあり、高倉天皇陵の側に小督局の墓がある。
山科と京都の境に位置し、庭前の要石辺りに立てば京都の街が両側の山と山との間から扇を開いた様に眺望できる。 寺を訪れた日はお盆明けの久しぶりによく晴れた一日だったので、確かに扇を開いたような角度で京の街が見渡せた。開いた扇のちょうど要に大きな石があり、要石と名付けられている。
〒605-0922京都府京都市東山区清閑寺山ノ内町11−1
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