2014年03月02日
六道珍皇寺の井戸
「ろくどう ちんのうじ」 と読む。変わった名前だが、歴史がある。 この辺り(東山区阿弥陀が峰の麓)は昔は鳥辺野といわれ、死者を埋葬する場所だったらしい。
死者の遺骨をこの辺りに捨てて(風葬)葬った。死の世界との境界である六道の辻にある珍皇寺で僧に引導を渡してもらい、鳥辺野に遺骨を捨てる習わしだったという。
古くから京都に住んでいる人達はお盆になると珍皇子の迎え鐘を鳴らして祖先の霊を迎える。
お盆の間、精霊の供養が行われた後、大文字の送り火で精霊を送る。その昔は矢田地蔵の送り鐘を鳴らして送ったというが、こちらの方は絶えて久しい。
8月8日から10日までが六道参りと云って、京都の人達は珍皇寺へ出掛け、迎え鐘を撞いた後、槙の葉とミソハギを買い求め、おしょうらいさんを迎える十三日まで、かっては井戸の中に吊るしておいた。
この井戸の中に吊るすという習慣には、一つ話がある。ここ珍皇子の井戸から小野篁(おののたかむら)が冥界へ通っていたというのである。 小野篁というとあの小野小町の祖にあたる人である。
官僚であった篁は夜な夜なこの井戸から冥界へ通い、閻魔王に代わって、地獄行き、極楽行きを冥府の法廷で決めていたというのである。
ここの井戸は行きの井戸であって、帰りは嵯峨野の大覚寺前の六道町にあった井戸から出てきたという。
小野篁は詩人でもあった。「野狂」と呼ばれる有名な漢詩人であったというから、詩の中でそんな幻想の世界を歌ったのかもしれない。
サルスベリの下に見える蓋をされている井戸が冥界への入口である。普段は拝観できないが、予約をすれば見せてくれるらしい。その時は蓋を取ってのぞかせてくれるのかどうか?一度試してみてもいいかもしれない。
〒605-0811京都府京都市東山区大和大路通四条下る四丁目小松町595
死者の遺骨をこの辺りに捨てて(風葬)葬った。死の世界との境界である六道の辻にある珍皇寺で僧に引導を渡してもらい、鳥辺野に遺骨を捨てる習わしだったという。
古くから京都に住んでいる人達はお盆になると珍皇子の迎え鐘を鳴らして祖先の霊を迎える。
お盆の間、精霊の供養が行われた後、大文字の送り火で精霊を送る。その昔は矢田地蔵の送り鐘を鳴らして送ったというが、こちらの方は絶えて久しい。
8月8日から10日までが六道参りと云って、京都の人達は珍皇寺へ出掛け、迎え鐘を撞いた後、槙の葉とミソハギを買い求め、おしょうらいさんを迎える十三日まで、かっては井戸の中に吊るしておいた。
この井戸の中に吊るすという習慣には、一つ話がある。ここ珍皇子の井戸から小野篁(おののたかむら)が冥界へ通っていたというのである。 小野篁というとあの小野小町の祖にあたる人である。
官僚であった篁は夜な夜なこの井戸から冥界へ通い、閻魔王に代わって、地獄行き、極楽行きを冥府の法廷で決めていたというのである。
ここの井戸は行きの井戸であって、帰りは嵯峨野の大覚寺前の六道町にあった井戸から出てきたという。
小野篁は詩人でもあった。「野狂」と呼ばれる有名な漢詩人であったというから、詩の中でそんな幻想の世界を歌ったのかもしれない。
サルスベリの下に見える蓋をされている井戸が冥界への入口である。普段は拝観できないが、予約をすれば見せてくれるらしい。その時は蓋を取ってのぞかせてくれるのかどうか?一度試してみてもいいかもしれない。
〒605-0811京都府京都市東山区大和大路通四条下る四丁目小松町595
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