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2014年04月06日

退耕庵

  臨済宗大本山東福寺の塔頭の一つである。1346年の創建。門を入ってすぐの右側に玉章地蔵尊(タマズサ)が祀られている祠がある。小野小町作となっており、又の名を文張り地蔵と云う。高さ3mで土で作られている。良縁を結び、悪縁を断つと云われて信仰を集めている。文とは小町への恋文であろうか。
 庵というが、境内は広そうである。東福寺へ紅葉を見に来たおりなどにこの前を何度か通ったことがあり、いつも土塀の向こうにあるであろう庭を見てみたいと思っていたが、この度それが叶った。冬の特別拝観(2004年1月~3月)が開催され、公開された。
 1枚目の写真は火灯窓から覗いた北庭。この左側には池泉が配され、中国の西湖を模して作られたという。初夏には睡蓮が美しく咲くらしいが、今は冬枯れていた。
 本堂には足利義満の筆による額が掲げられていた。
 現存する書院は1599年に安国寺恵瓊(エケイ)により再建されたものである。紅葉の名所である通天橋も恵瓊によって再建されている。
 南庭側に昨夢軒という茶室がある。豊臣秀吉の滅後、関ヶ原の合戦を前にして、ここで恵瓊と石田三成、小早川、宇喜多等が徳川討伐の謀議を行ったと伝えられている。後に関ヶ原の戦いで敗れ、恵瓊と石田三成共に処刑された。
 南庭は真隠庭と名付けられ、室町初期に開山性海霊見和尚の作庭。修行の地であった中国の雄大な大地、山々に思いを馳せて作られたとされる。
 中国五山の第一、径山(キンザン)万寿禅寺から見た風景を模して造られた。 南庭の右側には樹齢三百年の霧島つつじがあり、毎年4月に真紅の花を見事に咲かせるという。
 三成もこのつつじを見たろうか。三成という男の事が、せつないほどに解る年に自分もなってしまった。三成の墓は大徳寺にある。  
タグ :洛東


Posted by koyuki at 07:00Comments(0)京都の庭園