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2015年04月11日

鞍馬・貴船

  出町柳から叡電に乗り、鞍馬駅から少し歩いてケーブルカーに乗り継ぎ、後はひたすら歩く。 金堂から義経堂、奥の院を経て貴船へ出る。
 鞍馬山から比叡山を眺める。  7月から8月にかけては観光客が多い。それでも涼しさは格別である。街とは5~8度は気温差があるのではないか。  夏、京都の人達は鎖夏の1つとして奥座敷貴船へ行く。 涼を求めて川床に座す。 せせらぎの音を聞きながら川魚料理に舌づつみする。  川の水に素足を浸してみる。 この感覚は他では味わえないだろう。
 偶然にも案内された席の横を見れば、今回のもう一つの目当てである雪ノ下の花が可憐に咲いていた。 自然は誠に不思議なものを造り出す。 この花を見ているとそう思う。  川沿いの道を行く車の無粋さを除けば、言う事はない。
 貴船山と鞍馬山に挟まれた渓谷の貴船は賀茂川源流の地であり、貴船神社は古くから水源を守る神として崇められている。
 貴船神社、奥宮の境内本殿横には社の伝説にまつわる船形石があるが、ここにも雪の下の花がたくさん咲いていた。
 雪の下は日陰の岩や崖を好んで繁殖する。貴船口まで下る途中の中宮の石垣にもちらほらと白くこまかく咲いていた。
 多いところでは降りしきる雪のようにも見えるというが、もう1週間程早く来たほうが花時だったろうか

 京都府京都市左京区鞍馬山  
タグ :洛北


Posted by koyuki at 15:07Comments(0)京都の庭園

2015年04月11日

源光庵の窓から

 鷹峰山宝樹林源光庵と号し、1346年に臨済宗大本山大徳寺二代徹翁国師の開創によるものであるが、1694年に加賀国大乗寺二十七代曹洞宗復古道人卍山道白禅師が住持し、これより曹洞宗に定まったとされる。
 霊芝からできた霊芝観音菩薩が祀られている。  近くには光悦寺、常照寺がある。  悟りの窓は円型に「禅と円通」の心を表し、角窓は人間の一生を象徴して「生老病死四苦八苦」を表しているといわれる。
 本堂の天井を見上げるとそこには血天井がある。伏見桃山城の遺物であり、徳川家康の忠臣鳥居彦右衛門元忠一党千八百人が石田三成軍勢と交戦したが、武運拙く討死し、残る三百八十人が自刃して相果てたときの恨跡(床板)であり、悲劇を伝えている。
 この日は中庭に黄色いつつじが咲いていた。  春先には寺の入り口近くにハクモクレンが咲く。また、本堂の前(拝観入り口近く)には、サンシュユの黄色い花が咲く。
 春、初夏は緑の庭が清清しい。  秋は紅葉が美しい。

 
  
タグ :洛北


Posted by koyuki at 15:02Comments(0)京都の庭園

2015年04月11日

三玄院

 1589年に浅野幸長、石田三成、森忠政(蘭丸の弟)が、春屋宗園(大宝円鑑国師)を開祖として創建した。
 春屋、三成、忠政、織部らの墓がまつられている。
 大徳寺には織田信長の墓がまつられている総見院があるが、普段は一般には公開されていない。しかし、昨年の冬に特別拝観があった。ここ三玄院も是非、特別拝観させていただきたいと願っている。
 このサイトでも公開しているが、信長、秀吉とくれば、普通は家康だろうか?私は三成に興味を持った。そして、ここ三玄院にも来てみた。
 関ヶ原の戦いは、三成と家康の戦いであった。片や苦労人家康、否もっと嫌味な言い方をすれば「たぬき親父・家康」、片やエリート官僚三成。 家康は既に堂々たる経歴を持ち、年齢は六十歳、二百五十五万石の大所領を築いていた。三成はといえば、戦国末期に登場し、年齢は四十歳前、所領は二十万石にも満たないというものであり、誰が見ても勝負にもならない。歴史を見ても確かに三成の負けであった。
 しかし、詳細に調べてみると、まんざらでもなかったのである。一見無謀にも思えたこの挑戦は後の日本の「中堅官僚、中堅社員のネットワークで動く」雛形を築いたともいえる。  また、豊臣政権下で三成が推進した検地(これにより日本ではじめてGNPが算出された)、刀狩、そして都市計画(博多、京都、堺)など興味は尽きない。
 三玄院は一般には公開されていないので、まだ入り口しか見たことはないが、織部好みの三畳台目・八窓の茶室篁庵(コウアン)があり、本堂の襖絵の八方にらみの虎は、原在中の筆によるものらしい。  
タグ :洛北


Posted by koyuki at 14:54Comments(0)京都の庭園

2015年04月11日

来迎院の声明

 天台宗に属し、延暦寺の別院である。慈覚大師円仁が、入唐して学んだ梵唄などの声明の道場として創建されたものである。  声明とは、インドで始まった学問の一つであるが、わが国では仏をたたえる歌謡や経を読む音律として広がり、仏教のほか民謡などの日本音楽にも大きな影響を及ぼした。
本堂には、藤原期の薬師・弥陀・釈迦三尊仏を安置し、寺宝としては平安時代の仏教界の貴重な資料を蔵している。 三千院の脇に道があり、渓流に沿って急な坂を登って行くと木立に包まれた来迎院に辿り着く。
 本堂に行く手前に鐘楼が建つ。(写真)  鐘楼の脇には薄紅色の山茶花が咲いていた。  ここにも楓が植えられており、紅葉したその色が辺りを染めていた。 来迎院からさらに山道を奥へしばらく登ると前方に音無ノ滝が見える。来迎院で声明を唱える良忍上人が修行の妨げになるからと、水音を消したという伝説が残る。
  
タグ :洛北


Posted by koyuki at 14:44Comments(0)京都の庭園

2015年04月11日

三千院の紅葉

  本尊は薬師如来。 平安時代の初期に最澄が比叡山に三千院円融坊を建てたのが起源。
 その後、門跡寺院となり、現在地に移って三千院と号した。  境内には聚碧園と有清園の二つの池泉回遊式庭園が造られている。
 三千院の横の道を上がっていくと来迎院があり、さらに上がると音無しの滝に至る。 滝への道の途中で比叡山へ登る道がある。
 訪れるなら、やはり紅葉のシーズンが一番美しい。 初夏は紫陽花が楽しめる。紫陽花祭りの時期には奥の院の紫陽花苑が満開になる。
 近くには実光院、宝泉院、勝林院などがあり、三千院の前の道には土産物屋(漬物)等が並んでいる。  ここも京都では観光客の多いところである。ゆっくりしたければ、開門すぐか、閉門間際に入るのがいい。
写真は、本堂から杉木立越しに有清園と阿弥陀堂を眺めたところ。  もみじの赤と黄色が美しい。
 阿弥陀堂にも阿弥陀像があるが、往生極楽院にも弥陀三尊像が祀られている。この三尊像は死者を迎えに来たその瞬間を表わしていると云う。  三千院が観光地として有名になったのは、昭和に入ってからである。 この頃、本房(宸殿)が造られた。
 三千院には二つの物が同居している。一つは隠者が日夜念仏に明け暮れた小さな庵室であった往生極楽院であり、もう一つが石垣で囲まれた巨大な門構えの門跡寺院である。皇族であった梶井門跡が還俗し、宮家を創設して東京へ行ってしまった後に残された宝物(仏像、什器、襖絵等)が今も宸殿を飾っている。
   
タグ :洛北


Posted by koyuki at 14:44Comments(0)京都の庭園

2015年04月11日

龍源院

 方丈は庭に囲まれ、日本最小と云われる壺石庭が有名だ。阿吽の石庭と呼ばれる庭は日本最古の種子島銃や家康と秀吉が対局した碁盤等が展示されている部屋に面している。 東西に置かれた基礎石は秀吉が京に建てた聚楽第のもの。
 方丈の前庭(南側)は唯一残る室町時代の禅宗方丈建築の遺構である。約85坪の空間に仙人の住む蓬莱山、不老長寿の鶴亀、白砂は直線と丸で大海を表わし、また宇宙を描く。
 方丈の北側に面した北庭のすぐ裏には大徳寺の赤門が見える。
 枯山水の庭を前にして、縁側に腰掛けて今日思ったことを話そう。 最近読んだ本にエントロピーの法則を人間社会にあてはめて書かれた箇所があった。それは、絶望的な話だった。つまり、平和や非暴力主義が多数派を占めても、テロや戦争は絶対に無くならない。それがエネルギー的に安定した状態であり、エントロピーの増大した状態だというのだ。
 確かに人間の価値観は多様だ。アメリカ的な価値観を押しつけても反発は免れないだろう。
  
タグ :洛北


Posted by koyuki at 14:43Comments(0)京都の庭園