2014年01月19日
平安神宮
100年程前(明治28年:1894年)、平安遷都1100年を記念して創設されたのが平安神宮である。記念行事の一環として内国勧業博覧会が京都(岡崎)で開催された。またこの年に第1回の時代祭が行われ、華やかな時代行列が繰り広げられた。
古都の中では比較的新しい神社であり、庭園なのである。
平安神宮に祀られているのは平安遷都を行った桓武天皇と明治維新の基を開かれた孝明天皇である。
庭園(神苑)には、八重枝垂桜がある南神苑、花菖蒲の咲く西神苑、杜若や睡蓮の咲く中神苑、尚美館や泰平閣(橋殿)のある東神苑があり、いずれの神苑にも池があり池泉回遊式庭園となっている。
歴史は浅いが、京都の観光名所として訪れる観光客は多い。また、初詣客で例年賑わうところでもある。
平安神宮のあるここ岡崎の地は、もとは野菜畑だったらしいいが、博覧会の会場として整備され景観は一変した。この時の工業館、農林館、美術館等の建物(パビリオン)があった場所を公園とし、後に動物園や美術館等が建てられた。
天智は唐(中国)の侵略を恐れ、大津京へ遷都する。壬申の乱が起き、天智系から天武系が皇位を奪い、天武は平城京へ遷都する。称徳で天武系が途絶えた後、再び天智系へ皇位が戻る。桓武天皇が平安京へ遷都した時、桓武は王朝(血統)が交替したことを宣言したという説もある。(泉涌寺を参照)
平安神宮には結婚式場がある。会社の同僚はここで式を挙げた。私も列席した。
平安神宮の大極殿は、平安京の大極殿を復元した建物であるが、本当の大極殿は岡崎ではなく、千本丸太町付近にあった。 今は大極殿跡として石碑が建てられている。(最後の写真)
平安京の中心大内裏(ダイダイリ)にあった朝堂院の正殿が大極殿(ダイゴクデン)である。朝堂院は、朝廷の儀式が行われる中心場所で、周囲を回廊で取り囲み、南は朱雀大路(千本通)に向かって応天門が開かれていた。
大極殿は即位をはじめ、毎年の朝賀等、国家の大切な儀式が行われたところであった。
平安京を偲ぶ建物などはほとんど残されていないが、こうして復元された大極殿の前で手を合わせた後、神苑を散策し花を愛でる時、平安京に対する憧憬を覚える。
〒606-8341 京都府京都市左京区岡崎西天王町
古都の中では比較的新しい神社であり、庭園なのである。
平安神宮に祀られているのは平安遷都を行った桓武天皇と明治維新の基を開かれた孝明天皇である。
庭園(神苑)には、八重枝垂桜がある南神苑、花菖蒲の咲く西神苑、杜若や睡蓮の咲く中神苑、尚美館や泰平閣(橋殿)のある東神苑があり、いずれの神苑にも池があり池泉回遊式庭園となっている。
歴史は浅いが、京都の観光名所として訪れる観光客は多い。また、初詣客で例年賑わうところでもある。
平安神宮のあるここ岡崎の地は、もとは野菜畑だったらしいいが、博覧会の会場として整備され景観は一変した。この時の工業館、農林館、美術館等の建物(パビリオン)があった場所を公園とし、後に動物園や美術館等が建てられた。
天智は唐(中国)の侵略を恐れ、大津京へ遷都する。壬申の乱が起き、天智系から天武系が皇位を奪い、天武は平城京へ遷都する。称徳で天武系が途絶えた後、再び天智系へ皇位が戻る。桓武天皇が平安京へ遷都した時、桓武は王朝(血統)が交替したことを宣言したという説もある。(泉涌寺を参照)
平安神宮には結婚式場がある。会社の同僚はここで式を挙げた。私も列席した。
平安神宮の大極殿は、平安京の大極殿を復元した建物であるが、本当の大極殿は岡崎ではなく、千本丸太町付近にあった。 今は大極殿跡として石碑が建てられている。(最後の写真)
平安京の中心大内裏(ダイダイリ)にあった朝堂院の正殿が大極殿(ダイゴクデン)である。朝堂院は、朝廷の儀式が行われる中心場所で、周囲を回廊で取り囲み、南は朱雀大路(千本通)に向かって応天門が開かれていた。
大極殿は即位をはじめ、毎年の朝賀等、国家の大切な儀式が行われたところであった。
平安京を偲ぶ建物などはほとんど残されていないが、こうして復元された大極殿の前で手を合わせた後、神苑を散策し花を愛でる時、平安京に対する憧憬を覚える。
〒606-8341 京都府京都市左京区岡崎西天王町
Posted by koyuki at 07:00│Comments(0)
│京都の庭園
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