2014年04月13日
曼殊院
マンジュではなくマンシュと読む。 天台宗門跡寺院。開基は最澄だが、1656年に桂離宮造営の八条式部卿の御子、良尚法親王によって、現在の地に移された。学者でもあった良尚法親王の書画、詩文などが数多く残こされており、書院にて展示されている。 ここの庭は遠州好みの枯山水である。
中世以後、西麓から比叡山へ登る重要な坂であった雲母坂(きらら坂)が近くにあり、私もそこから比叡山へ登ってみたことがある。 親鸞は無動寺大乗院(修行の地)から六角堂まで百ヶ日間参篭を繰り返した。 そのとき通ったのがきらら坂であったと云われる。
ここの枯山水は、禅的なものと王朝風なものとが結合して、独特の雰囲気がある。 寺と言うより公家の別荘といった趣である。昔はこの辺りは竹藪が多かったので「竹内御殿」と呼ばれたというから、やはり別荘であった。 左手縁先にあるのが梟の手水鉢。
4月下旬から5月初旬頃に咲く霧島つつじが紅に映えてきれいだ。 同じ頃、参道もツツジがにぎやかに咲くので、拝観の時期としてはやはり春か、紅葉の綺麗な秋だろう。
〒606-8134京都府京都市左京区一乗寺竹ノ内町42
中世以後、西麓から比叡山へ登る重要な坂であった雲母坂(きらら坂)が近くにあり、私もそこから比叡山へ登ってみたことがある。 親鸞は無動寺大乗院(修行の地)から六角堂まで百ヶ日間参篭を繰り返した。 そのとき通ったのがきらら坂であったと云われる。
ここの枯山水は、禅的なものと王朝風なものとが結合して、独特の雰囲気がある。 寺と言うより公家の別荘といった趣である。昔はこの辺りは竹藪が多かったので「竹内御殿」と呼ばれたというから、やはり別荘であった。 左手縁先にあるのが梟の手水鉢。
4月下旬から5月初旬頃に咲く霧島つつじが紅に映えてきれいだ。 同じ頃、参道もツツジがにぎやかに咲くので、拝観の時期としてはやはり春か、紅葉の綺麗な秋だろう。
〒606-8134京都府京都市左京区一乗寺竹ノ内町42
Posted by koyuki at 07:00│Comments(0)
│京都の庭園
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