さぽろぐ

旅行・温泉・観光  |その他の都道府県・海外

ログインヘルプ


インフォメーション


QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 30人
プロフィール
koyuki
koyuki

2014年11月02日

法界寺

法界寺 法界寺は、醍醐寺の南方、京都市伏見区日野にある。日野は、親鸞の生誕地として知られる。かつて山城国宇治郡日野と呼ばれたこの地は、日野氏の領地であった。日野氏は藤原北家の一族で、儒学や歌道をよくした家柄であったという。
 平安時代後期の1051年、もと文章博士(モンジョウハカセ)で後に出家した日野資業(スケナリ)が、薬師如来を安置する堂を建てたのが法界寺の始まりとされている。薬師如来像の胎内には、日野家に代々伝わる伝教大師最澄自作の三寸の薬師像を納入したと云われる。
 浄土真宗の開祖である親鸞は、1173年に日野有範の子として、法界寺にて生まれたとされている(法界寺の近くには親鸞の生誕地にちなんで江戸時代に創建された日野誕生院がある)。
 阿弥陀堂に入ると四本柱で仕切られた内陣に須弥壇が組まれ、阿弥陀は定印を結んで蓮華座に座っておられた。親鸞も幼い頃見たであろう同じ阿弥陀が今も残されている。穏やかな表情で瞼をなかば閉じて、こちらを向いておられた。
 親鸞は八歳にして両親を失い、九歳で剃髪し仏門に入る。幼くして無常の何たるかを知っていたろうか。やがて叡山に入り、修行を積むのであるが、どうしても悟りの境地は得られず、山を下りて法然の門下となる。その後、親鸞のまとめた「教行信証」は宗教というよりは、ほとんど哲学であり、大衆をひきつけるものではなかった。 それを宗教(教義)にし、教団を創ったのは蓮如だった。
 「歎異抄」は云う、「南無阿弥陀仏」と称えるだけで、自分も含めた悪人(凡人)をこそ、弥陀は救ってくださると。

あなたにおススメの記事

タグ :洛南洛外

同じカテゴリー(親鸞を訪ねて)の記事画像
神護寺の紅葉
月輪寺
きらら坂にて
東山にて
同じカテゴリー(親鸞を訪ねて)の記事
 神護寺の紅葉 (2015-05-17 17:31)
 月輪寺 (2014-11-02 13:15)
 きらら坂にて (2014-11-02 13:12)
 東山にて (2014-11-02 13:00)

※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
法界寺
    コメント(0)