2015年04月18日
安養寺
延暦年間に桓武天皇が平安京に遷都された時、都鎮めの寺として伝教大師が創建した。 この裏には法然上人の吉水草庵の旧跡がある。法然は吉水を本拠として浄土宗の布教活動を行った。 建永の法難により法然上人が流罪になり、専修念仏停止となり、慈鎮和尚により再建。慈円山大乗院安養寺と号した。
江戸時代初期には慈円山は「円山」と称され、安養寺では六阿弥(左阿弥、春阿弥、弥阿弥、庭阿弥、正阿弥、連阿弥)と呼ばれる塔頭があった。各塔頭には贅を尽くした庭園があり、それぞれが貸座敷を営んで大変賑わったという。元禄期には最盛期を迎えた。明治には、まず弥阿弥が買収されてホテルとなり、他の塔頭も左阿弥を残して次々に弥阿弥に買収されて姿を消していった。
左阿弥は、1849年(嘉永2年)に料亭となった後、そのまま現在に至っているが、ホテルは火災に遭い現在はかつての庭園の跡や、塔頭の敷地の跡である平場のみが公園として残っている。 本尊は阿弥陀如来であるが、ここの阿弥陀の台座の蓮華は逆さについている珍しい物である。
江戸時代初期には慈円山は「円山」と称され、安養寺では六阿弥(左阿弥、春阿弥、弥阿弥、庭阿弥、正阿弥、連阿弥)と呼ばれる塔頭があった。各塔頭には贅を尽くした庭園があり、それぞれが貸座敷を営んで大変賑わったという。元禄期には最盛期を迎えた。明治には、まず弥阿弥が買収されてホテルとなり、他の塔頭も左阿弥を残して次々に弥阿弥に買収されて姿を消していった。
左阿弥は、1849年(嘉永2年)に料亭となった後、そのまま現在に至っているが、ホテルは火災に遭い現在はかつての庭園の跡や、塔頭の敷地の跡である平場のみが公園として残っている。 本尊は阿弥陀如来であるが、ここの阿弥陀の台座の蓮華は逆さについている珍しい物である。
Posted by koyuki at 13:23│Comments(0)
│京都の庭園
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