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2015年04月29日

青蓮院の楠木

 天台宗総本山延暦寺の三門跡のひとつ。  粟田御所とも呼ばれる。 三門の脇に大きな楠木が立っている。
 後の室町六代将軍足利義教となった義円は、青蓮院の僧侶であった。四代将軍義持が亡くなった後(五代将軍義量は十九歳の若さで夭折している)、くじ引きによって選ばれた。 義教に言わせると神によって選ばれた。 
 義教は九州制圧、比叡山弾圧、鎌倉府(関東)制圧とそれまでの室町将軍ができなかった事を成し遂げた人にしては過小評価されている。
 義教は恐怖の魔王と呼ばれたが、乱世の時代にあって平和を維持するためには、絶対的権力が必要であった。
 第三世門主は慈円であり、親鸞は九歳の時に慈円について青蓮院で得度したと説明書には書かれているが、正確には慈円が青蓮院へ移ったのは天台座主となって以降であり、親鸞得度当時は隣接していた三条白川房の小院であったとみる方が正しい。
 親鸞はこの時。既に両親とは死別し、叔父に預けられていた。
 境内の北側に植髪堂があり、親鸞得度の時にそり落とした髪を、親鸞童形の像に植えたものを祀っている。
  親鸞は得度の後、直ぐに比叡山の道場へ送られ、聖教を学び始める。 親鸞が得度した年、京都は飢饉のさなかであり、殺生までともなう掠奪と放火がたえず頻発していた。  寺内には室町時代に相阿弥が作ったとされる庭園がある。
  苔の庭に突っ立った大きな楠木と対座してしばし無にならんとす。  親鸞は九歳で得度し、比叡山に登り、この後二十年に及ぶ長い月日を山で修行するのである。 しかし、九十日間「歩々声々念々」を休まずつづける常行三昧という厳しい修行でも仏を見ることができなかった。そうして山を下り、六角堂へ篭るのである。  慈円の歌に次のような歌がある。
  春ぞかし今年おろかに過ごし来て
    花におどろく白川の里
 人は処世に忙殺されて日々を送っているとき、満開の桜に不意を突かれ、過ぎ去った日々を虚しく惜しむのである。僧侶にしてさえであるから、凡夫にはなおさらのこと。

〒605-0035 京都府京都市東山区粟田口三条坊町69−1

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Posted by koyuki at 14:38│Comments(0)京都の庭園
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