2015年05月01日
智積院(チシャクイン)
真言宗智山派の総本山。元は秀吉が側室・淀殿との間に儲けた愛児鶴松(棄丸)が三歳で病没した後、その菩提を弔う為に建立した祥雲禅寺であったが、大阪城が落城すると共に、家康がこれを真言宗智積院能化に寄進してしまった。これが智積院の始まりとされる。
智積院の庭園は、利休好みの庭と伝えられ中国の廬山を形どって造られている。正面右側、石橋より奥の方は祥雲禅寺時代に造られたもので、桃山時代の特色である自然石のみを用い、刈り込みを主体とした野性的な雄大さを感じさせる。
方や正面は滝、そして石組と植込みが交互に並び、洗練された美しさが築庭の極限を表現し、江戸時代好みの感じを与える。
また池が建物の下に入り込んでいる所は、寝殿造りの泉殿か釣殿に居るように思わせる。
寺には長谷川等伯一派の国宝障壁画があり、拝観もできる。これらの障壁画もまた、祥雲禅寺の殿舎を飾っていたものであるが、祥雲禅寺は1682年の火災で灰燼になってしまった。
祥雲禅寺の名は、鶴松の法名・祥雲院からとられた。当時は都一番の寺と言われたほど、豪壮華麗な寺であったらしい。
鶴松(棄丸)は、現在は妙心寺の塔頭玉鳳院の方丈裏手にある霊屋内で眠っている。また、元は祥雲禅寺にあった鶴松の木像は「木造豊臣棄丸坐像」(重文)と名付けられて同隣華院に収蔵されている。
〒605-0951 京都府京都市東山区東大路七条下る東瓦町964
Posted by koyuki at 10:43│Comments(0)
│京都の庭園
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