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2015年05月10日

二尊院

二尊院
 「百人一首」で名高い小倉山の東麓にあって、本尊に釈迦如来と阿弥陀如来の二尊を祀るため、二尊院と呼ばれるが、正しくは「小倉山二尊教院華台寺」という。
 嵯峨天皇の勅願により慈覚大師が開山したと云われている。(834~847年)
 総門は豪商角倉了以が、伏見城の「薬医門」を移築したもので、参道は紅葉の馬場といわれ、秋には紅葉の美しいところです。
 3月には参道の坂を登り切ったあたりに沈丁花の花が咲きます。 今日は沈丁花の花を求めて何度目かの訪問をしてきました。
 本堂の前の庭にはもう少しすると(4月中旬頃から5月初旬にかけて)ハナミズキや山吹の花が咲きます。
  参道の紅葉は見事です。一度は紅葉の時期に来られることをお勧めしますが、紅葉シーズンの嵐山から小倉山あたりは観光客が大勢訪れるため、まるで町中の雑踏を歩いてような感じさえするときがあります。
 それと比べて新緑の頃は人も疎らで、のんびりと青々としたもみじの下を歩くことができるので、私はこの時期の方が好きです。
 沈丁花の咲く今の季節は参道のもみじは葉をすっかり落としていて、寂しいばかりなので、写真は昨年の4月下旬に撮ったものを載せました。
 六年間の修行期間を終えた法然が比叡山を降りて行脚に出た頃、京都では「保元の乱」が起こっていた。待賢門院を母に同じ血を分けた崇徳上皇と後白河天皇の両勢力がぶつかって、保元の乱が起きた。平氏は忠正が上皇方、甥の清盛が天皇方、源氏は為義が上皇方、子の義朝が天皇方について、肉親が敵味方に分かれて兵刃を交えたと云うのだから、醜い戦いであったと云うほかない。そんな京都市中を抜けて、法然は一人ここ嵯峨の華台寺をめざしたが、その頃の華台寺は荒れ放題になっていたらしい。 
  本堂脇の急な石段を登り切ったところに法然の廟があり、そこを左に行くと時雨亭跡(小倉百人一首選定の地と云われる)であり、右に行くと三帝陵(土御門天皇、後嵯峨天皇、亀山天皇)である。
 法然はここ華台寺から奈良へ向かう。行脚の途中、各宗派の学匠と法論を交わす。法然は今で言えば大学の教授のような人であった。奈良からここ華台寺へ帰った法然は、少しして叡山の黒谷へ戻ることになる。
 黒谷にこもって一切経を読むこと十数年と伝記にはあるが、一切経とは五千四十八巻から成る漢訳仏教聖典の集成である。
 小倉山を背景に建つ本堂は京都御所の紫宸殿を模して造られているという。向かって右側が現世の悩みを取り去る釈迦如来、左があの世の極楽へ迎え入れる阿弥陀如来が祀られ、現世来世を見守っている。

 〒616-8425 京都府京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町27

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