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2015年05月17日

愛宕念仏寺 (おたぎねんぶつじ)

愛宕念仏寺 (おたぎねんぶつじ)
 称徳天皇(764~770年)の開基により山城国愛宕郡に愛宕寺として建立されたのが始まりだという。
 平安朝の初めには、東寺に属していたが、鴨川の洪水によって堂宇が流失したため、天台宗の僧・阿闍梨伝燈大法師千観内供(918~984)によって七堂伽藍の大寺を再興された。
 今ある場所は愛宕山の麓、清滝へ通じるトンネルの手前である。大正十一年に東山の松原通り弓矢町から堂宇の保存とあたご山との信仰的な関係からここへ移築された。
 千観は中納言橘頼顕卿の子として生まれ、両親の信仰の厚かった千手観音にあやかり幼名・千観丸と名付けられた。千観は十二才で比叡山に登り、運照内供の弟子となって苦行し顕密の奥旨を修めたとある。(寺伝)
 重要文化財に指定されている千観内供の木造がある。内供とは皇居に参内を許された僧位。
 千観は空也上人を慕って身を捨て、浄土教に転向し、天皇、貴族に仕える僧ではなく、民衆のために働く乞食僧になった。後に親鸞や一遍に受け継がれることとなる「和讃」(解りやすく信仰の教えを詩にしたもの)を作って、浄土教を民衆に普及した。
 境内には千二百体の羅漢の石像があり、その豊かな表情は訪れる人々の心を和ませてくれる。
 現在の住職である西村公朝師は東京美術学校の彫刻科を出て、保存技術の教授を務められた彫刻家であり、画家でもある。
 千観は「笑仏」と言われた。その影響からか一般の人達が作った千躰の羅漢像も皆、朗らかな笑みを湛えている。

 〒616-8439 京都府京都市右京区嵯峨鳥居本深谷町2−5

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Posted by koyuki at 17:24│Comments(0)京都の庭園
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