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koyuki

2015年06月13日

旧二条城 (二条新第)


 1569年に織田信長が将軍足利義昭の居館として築いた。今は旧二条城跡とされる二条殿町(まちづくりセンター入口)に石碑だけがある。
 義昭を擁して上洛を果たした後、信長は義昭を本圀寺に置いて一旦、岐阜城へ戻った。そのスキを衝いて三好勢が本圀寺を包囲した。知らせを受けた信長は大雪の中を出陣し、京に駆けつけている。この時は未だ、義昭の権威が必要であった。腐っても鯛といったところか。戻って敵を撃退した信長は城塞を兼ねた新第を造営した。これが二条新第である。
 この二条新第の造営にあたって、諸侯より人手と資材を徴発し、工事現場には常時1万五千人から2万五千人が働いた。また、この工事は公開で行われ、わずか2ヶ月で完成させている。(宣教師フロイスの日本史による) このイベントは信長を天下に知らしめる宣伝効果は十分にあった。 そういった建造物やおそらくあったであろう場内の庭などが今に残っていないのは残念なことである。
 この二条城の公開工事にしてもそうだが、信長が魁となったことは多い。楽市楽座や政教分離などもそうである。
 日本人が今、無宗教だと言われるのも(本当はそうでもないのだが)信長が行った宗教勢力との戦いが一因している。
 この時代の日本人は熱烈な信仰者だった。そして宗教集団が武装していた。政治には妥協がつきものだが、宗教には妥協がない。だから、この時代には宗教の違いによる戦争があった。
写真は京都文化博物館の中庭に展示されている旧二条城(二条新第)の北西の部分と推定される場所(上京区新町通下立売上ル両御霊町)から出土した石仏。
 信長は工事を短期間に終わらせるために、付近の寺院から石仏などを微発し、石垣や石段を築造するのに利用させた。

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