2012年06月25日
京都駅近くの渉成園
渉成園は、真宗大谷派の本山の飛地境内で、周囲に枳殻(カラタチ)が植えてあったことから枳殻邸(キコクテイ)とも呼ばれている。
東本願寺からまっすぐ東に歩いて二筋目(500m程)の間之町通りにある。この日は、梅雨の晴れ間におうち(センダン)の木を見に来たのだが、もう花時は過ぎていた。最近、南方熊楠が好きだった木だと知りました。
この地は元は平安時代初期に嵯峨天皇の皇子左大臣源融が、奥州塩釜の景を移して難波から海水を運ばせた六条河原院苑池の遺蹟と伝えられている。 つまり、この地で塩を作らせたのである。
庭園は詩仙堂を造った石川丈山の作と云われる。
6月中旬の良く晴れた日であった。
池の南側(漱枕居の近く)には睡蓮の花が咲いていた。
池では鴨が泳いでいた。
高さ制限にはひっかからないのか、池の向こう側に見えているビルが気にかかる。無粋と言う他ない。
しおりを見ると春は桜、秋は紅葉、冬の雪景色もまたいい。
以前に訪問したときは、園内を流れる川のほとりに黄菖蒲が咲いていた。
境内はかなり広い。 散策するもよし、芝生の上に腰掛けて、しばし平安の時に思いをはせるもよし。
園内の建物にはそれぞれ(縮遠亭、傍花閣、園林堂、滴翠軒・・・)変わった名前が付けられているが、しおりを見ても説明は書かれていなかった。
もう10年以上も前に京都のお寺などの庭園を見て回って作ったHP「京都の庭園」からの抜粋です。京都の通りを歩きながら再訪したときに、ここへUpしていこうと思っています。できればこっちへ少しずつ移そうかと。
〒600-8190京都府京都市下京区下珠数屋町通間之町東入東玉水町
->渉成園
東本願寺からまっすぐ東に歩いて二筋目(500m程)の間之町通りにある。この日は、梅雨の晴れ間におうち(センダン)の木を見に来たのだが、もう花時は過ぎていた。最近、南方熊楠が好きだった木だと知りました。
この地は元は平安時代初期に嵯峨天皇の皇子左大臣源融が、奥州塩釜の景を移して難波から海水を運ばせた六条河原院苑池の遺蹟と伝えられている。 つまり、この地で塩を作らせたのである。
庭園は詩仙堂を造った石川丈山の作と云われる。
6月中旬の良く晴れた日であった。
池の南側(漱枕居の近く)には睡蓮の花が咲いていた。
池では鴨が泳いでいた。
高さ制限にはひっかからないのか、池の向こう側に見えているビルが気にかかる。無粋と言う他ない。
しおりを見ると春は桜、秋は紅葉、冬の雪景色もまたいい。
以前に訪問したときは、園内を流れる川のほとりに黄菖蒲が咲いていた。
境内はかなり広い。 散策するもよし、芝生の上に腰掛けて、しばし平安の時に思いをはせるもよし。
園内の建物にはそれぞれ(縮遠亭、傍花閣、園林堂、滴翠軒・・・)変わった名前が付けられているが、しおりを見ても説明は書かれていなかった。
もう10年以上も前に京都のお寺などの庭園を見て回って作ったHP「京都の庭園」からの抜粋です。京都の通りを歩きながら再訪したときに、ここへUpしていこうと思っています。できればこっちへ少しずつ移そうかと。
〒600-8190京都府京都市下京区下珠数屋町通間之町東入東玉水町
->渉成園
Posted by koyuki at 07:00│Comments(0)
│京都の庭園
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