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koyuki

2015年06月21日

常照皇寺の桜


 正式には「大雄名山万寿常照皇禅寺」と云い、略して常照寺とも云われていた。
 南北朝期の北朝の初代上皇であった光厳院が1362年頃に開創した臨済宗京都嵯峨天龍寺派に属する禅寺である。
 光厳天皇はわずか二年で退位され、この帝の数奇な運命も、ご苦労も、この機からはじまる。
 再び都は戦乱となり、探題北条仲時に伴われて近江路を東へ落ちて行かれる途中で、南朝方に捕らえられ、仲時以下四百数十人の郎党は一人残らず自刃して果てる。この時、仲時は十八歳、帝も二十一歳の若さであった。その後も戦乱に巻き込まれ、人質として吉野方面を転々と移された後、河内の金剛寺へ幽閉される。長い忍従の後、剃髪され、一旦は都へ戻られたが、順慶という僧を一人伴って諸国行客の後、山国のここ常照皇寺に籠もられた。
 後花園天皇から境内裏山万樹林や小塩田等を香華料として献納された。桜の木は弟の光明上皇から贈られたものだと云う。その後、皇家と地元檀家が力を合わせて護寺してきた。
 村人からは「光厳さん」と慕われ、明治維新のときは山国隊として、村の勇敢な若者83名が戦った。京北町の山国神社の祭りの日には、今でも勤皇山国隊の行進が保存会によって行われる。
 昔は(白州正子の訪れた頃)、かくれ里のような所だったに違いないが、今は花の季節にはたくさんの人が訪れる観光地になっている。

 〒601-0313 京都府京都市右京区京北井戸町14-6

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