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2015年06月20日

平等院

平等院
 宇治は景勝の地であり、度々王朝貴族の別荘が造営され、嵯峨天皇の皇子左大臣源融(ミナモトノトオル)が別荘を造り、融の没後は、宇多天皇の別荘となり宇治院と呼ばれた。
 平安時代の中頃に宇多天皇の孫源重信の所領になっていたものを道長が譲り受けて別荘とした。
 その後、道長の嫡男宇治関白藤原頼通(ヨリミチ)によって寺院に改められ、大日如来を本尊として開創された。
 開創当時、天台、真言、密教が盛んで、平等院の初代住職には、天台寺門派の園城寺から長史明尊を迎えた。
 一方、比叡山では恵心僧都源信が出て「往生要集」を著し、浄土教が盛んになり貴族達は自分の寺に本尊として阿弥陀如来を祀るようになってきた。
 このような背景から平等院でも阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂の建立が行われた。これが現存する鳳凰堂であり、お堂は東に面して建てられ池をへだてて西方に極楽浄土があるかの如き情景を現している。
              - 平等院の沿革史より
 三人の娘を天皇の后にして栄華を誇った藤原道長。紫式部はその道長の娘彰子付きの女官であった。世界ではじめて書かれた長編小説「源氏物語」は道長の援助によって書かれたと云われている。
 宇治は源氏物語(五十四帳)の後半の舞台である。これを宇治十帳と呼ぶ。光源氏の死後、次の時代での浮舟と薫、匂宮の話となっている。
 平等院を出て、宇治川を渡った対岸に宇治上神社がある。神社を過ぎて「さわらびの道」を散策すると、その先に源氏物語ミュージアムというのがある。ここでは源氏物語についての資料や映像を見ることができる。
 私もこの日は平等院から宇治川を渡って対岸にある興聖寺を拝観し、宇治上神社、さわらびの道をぬけて源氏物語ミュージアムと宇治を散策した後、駅前からバスに乗って三室戸寺、黄檗の万福寺を回った。

〒611-0021 京都府宇治市宇治蓮華116

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