2013年05月12日
勧修寺の睡蓮
醍醐天皇により創建された門跡寺院。
庭園は「勧修寺氷室園」と呼ばれ、「氷室の池」を中心に造園され、周囲の山を借景とした「池泉庭園」である。
平安時代には、毎年一月二日にこの池に張る氷を宮中に献上し、その氷の厚さによってその年の五穀豊凶を占ったと云われる。
書院の前庭にある灯籠は水戸光圀公の寄進で「勧修寺型灯籠」と云う。
蓮の名所としても知られる。
氷室の池一面に蓮の花が咲く。 睡蓮も咲いていたが、近年は蓮が蔓延りすぎて、睡蓮はその下敷きになり少なくなってしまったと言うことである。
私は睡蓮を目当てに訪れたが、確かに睡蓮は蓮に押されて数が少なくなっていた。残念ながら蓮も満開の時を終えていた。機会があれば花時に訪れて、氷室の池一面に咲き誇る蓮の花を見てみたいと思った。
この「京都の庭園」で紹介し残した庭園も残り少なくなってきました。そう言えば山科の寺院(庭園)は未だだったと思い立って小野へ来てみたが、地下鉄東西線が出来てからは、随分と市内からの交通の便はよくなっていた。 この日はこの後、小野駅を挟んで反対側にある随心院、そして少し足を伸ばして醍醐寺へも寄ったので、近々紹介する予定です。
〒607-8226京都府京都市山科区勧修寺仁王堂町27−6
庭園は「勧修寺氷室園」と呼ばれ、「氷室の池」を中心に造園され、周囲の山を借景とした「池泉庭園」である。
平安時代には、毎年一月二日にこの池に張る氷を宮中に献上し、その氷の厚さによってその年の五穀豊凶を占ったと云われる。
書院の前庭にある灯籠は水戸光圀公の寄進で「勧修寺型灯籠」と云う。
蓮の名所としても知られる。
氷室の池一面に蓮の花が咲く。 睡蓮も咲いていたが、近年は蓮が蔓延りすぎて、睡蓮はその下敷きになり少なくなってしまったと言うことである。
私は睡蓮を目当てに訪れたが、確かに睡蓮は蓮に押されて数が少なくなっていた。残念ながら蓮も満開の時を終えていた。機会があれば花時に訪れて、氷室の池一面に咲き誇る蓮の花を見てみたいと思った。
この「京都の庭園」で紹介し残した庭園も残り少なくなってきました。そう言えば山科の寺院(庭園)は未だだったと思い立って小野へ来てみたが、地下鉄東西線が出来てからは、随分と市内からの交通の便はよくなっていた。 この日はこの後、小野駅を挟んで反対側にある随心院、そして少し足を伸ばして醍醐寺へも寄ったので、近々紹介する予定です。
〒607-8226京都府京都市山科区勧修寺仁王堂町27−6
Posted by koyuki at 07:00│Comments(0)
│京都の庭園
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