2015年05月01日
泉涌寺
東山三十六峰の一嶺、月輪山の麓に静かにたたずむ御寺(泉涌寺)。順徳天皇の御代(1218年)に当時の開山月輪大師が中国の栄の方式を取り入れてこの地に大伽藍を営み、寺地の一角より清水が湧(涌)き出た事により寺号を泉涌寺とした。
この泉は今も枯れることなく湧き続けている。
当時の皇室から深く帰依され、1242年四条天皇がこの寺に葬られてからは、歴代天皇の山稜がこの地に営まれるようになり、以来、皇室の菩提所として信仰を集めた。このため「みてら」と呼ばれている。
皇室の御仏壇である霊明殿には歴代の天皇が祀られているのだが、天智天皇の後は、光仁天皇、桓武天皇と続く。?そうなのだ。天武系天皇(天武、持統、文武から称徳まで)は何故か祀られていないのである。御存知の通り、天智の時代の都は近江(滋賀)であった。しかし、「任申の乱」以降、天武は平城京へ遷都する。そして、称徳で天武系が途絶えた後、桓武は平安京へ遷都し、皇位が天智系に戻ったことを宣言する。
木々に覆われた広い坂を下ったところに見えているのは、舎利殿である。その後ろに仏殿、本堂がある。
御座所は、霊明殿再建時に明治天皇により御所内の御里御殿が移築されたものである。
新緑の頃または秋の紅葉が美しい。
万世一系であるはずの天皇家は、実は天武に皇位を一旦奪われ、その後称徳急死の後、天智系に戻ったのだろうか。何故、天武系の尊牌は霊明殿にはないのか。
〒605-0977 京都府京都市東山区泉涌寺山内町27
Posted by koyuki at 10:52│Comments(0)
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