2015年05月30日
妙顕寺
具足山妙顕寺と称し、日像聖人が朝廷より寺地を賜り、創建(1321年)した関西で最初の法華霊場である。
日像聖人は十三歳の時、都に入り法難(三度の追放)にも負けずに「南無妙法蓮華経」の布教に勤め、二十七年の後に朝廷より新宗派を許され、布教の大基盤を創った。
豊臣秀吉は、天正11(1583)年大坂城造営に着手すると共に京都では妙顕寺を聚楽第が造営されるまでの間、首都経営の拠点とした。
それに伴い寺院としての妙顕寺は、現在の寺之内地区に移された。
当時の妙顕寺城の跡を示すものとして古城町があり、妙顕寺城跡の石碑がある。
近くには本法寺、宝鏡寺、報恩寺、茶道の裏千家を開いた今日庵、裏千家センター(茶道資料館)がある。また、応仁の乱の激戦地跡などもある。
京都の町は応仁の乱によって、一面の焼け野原となった。堀川を挟んで、東側(細川勝元)と西側(山名宗全)を合わせて二十七万の軍勢が対峙した。
この日は庭園も公開されていた。本法寺や報恩寺の桜を見た後、ここの枝垂れ桜を見にやってきた。ここは紅葉の頃も美しい。 京都では裏道を歩いているといつの間にか広大な寺の境内へ導かれることがあるが、妙顕寺もその一つだ。
本堂前の石灯籠は妙顕寺型といわれて著名なものらしい。東隣の塔頭泉妙院には絵師・緒方光琳の墓がある。
〒602-0005 京都府京都市上京区妙顕寺前町514
Posted by koyuki at 07:00│Comments(0)
│京都の庭園
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