2015年06月07日
本隆寺
法華宗真門流の総本山で、正式には本妙興隆寺と云う。 開祖である日真は、長享2年(1488)に妙顕寺を出て、四条大宮に本隆寺を開創した。後柏原天皇等の支援を得て法運は隆盛するが、天文の法難に遭い、諸堂は悉く消失し、一時泉州堺に避難する。
平和や人の幸せを求めるはずの宗教が、歴史の中で時として戦争の引き金となってきた。そして古今東西を問わず、多くの人々がその犠牲になっている。京都も同じである。その一つに、天文法華の乱があり、日蓮宗の寺院がことごとく焼け落ちた。現世利益を説いた日蓮宗は、その当時としては異端であった。
現在地に移転後、享保・天明の大火では本堂・祖師堂・宝庫は奇跡的に残り、俗に不焼寺(やけずのてら)と呼ばれる。
裏に雨宝院があり、親せきの家も近くにあるので、よく来る寺の一つである。
祖師堂のそばにある松の木は「夜泣き止め松」(写真)と呼ばれ、五世の日諦上人が養育を頼まれた赤子の夜泣きに困った際、題目を唱えながらこの松の木を回ると泣きやんだという故事からくる。
春は桜、夏はサルスベリがきれいだ。洛中の寺は皆同じだが、町並みの中に溶け込むように立っている。 というより、寺領を囲むように(残して)町並みがあると言った感じだ。 うっかりしていると見過ごしてしまう。
〒602-8447 京都府京都市上京区智恵光院通五辻上る紋屋町330
Posted by koyuki at 07:00│Comments(0)
│京都の庭園
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