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2015年06月06日

瑞泉寺

瑞泉寺
 寺名は豊臣秀次の法名瑞泉院にちなんで付けられた。秀次らの菩提を弔うために、この寺を建てたのは高瀬川を開削した京都の豪商角倉了以である。
 秀次切腹の後、妻子ら三十九人の処刑が秀吉の命によって三条河原で行われ、遺体はその場に埋められ、「秀次悪逆塚」と刻まれた石塔が置かれた。
 これが後の鴨川の洪水で壊れ、遺骨が散乱する事態となり、これを集めて墓所とされたのが瑞泉寺である。処刑は公開で行われ、三条大橋は見物衆で溢れた。
 諸説あるが、秀次は犠牲者だったと思える。幼い頃から、叔父秀吉の政略に利用され、その後、秀吉に子がなかったため、養子となって若くして関白にまでなった。
 しかし、その後、秀吉に実子秀頼が生まれたため、謀反の疑いを掛けられ、二十八歳の若さで切腹させられたのである。母が秀吉の姉でなければ、平凡な百姓として長生きしたかもしれない。
 寺は繁華街の一角にある。私も何度もこの前を通っているのだが、今回寺内に入ったのは初めてだった。境内には秀次の墓所とこれを囲むようにその妻子らの墓が並んでいた。その脇に椿の花が咲いていた。
 諸説の中に、秀次が学問好きであり、学問の保護と奨励者であったという説がある。また、暴君であり殺生関白とも言われているが、どうもこれは創作であるように思える。
 今回、秀次についての資料を読み漁る内に、秀次が城主であった近江の八幡山城へも行ってみたくなった。

 〒604-8002京都府京都市中京区木屋町通三条下る石屋町114−1

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