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2015年06月06日

六角堂

六角堂
 正式な寺号を紫雲山頂法寺と号する寺で、本堂が六角宝形造であることから、一般に「六角堂」の名で人々に親しまれている。開祖は聖徳太子で、四天王寺建立の用材を求めて太子がこの地を訪れた時、霊告によってこの地に御堂を建て、守護仏の観音像を安置したのが始まりと伝えられている。  ここは今はオフィス街の一角、烏丸通りから少し入ったところにある。 写真は本堂。 確かに六角形をしている。
 京都の中心部にあるので、ビルの谷間になってしまっている。
 境内にへそ石と呼ばれる石がある。  桓武天皇が京都へ遷都の時(793年)、元の六角堂の所在が道路の中央に当ったので天皇が遷座を祈願し、御堂を五丈ばかり北へ移設。この石はその際に取り残された礎石であると伝えられている。
  親鸞上人がこの寺に百ヶ日間参篭して霊告を受け、後に真宗を開宗する根源となった。
 二十代前半の頃、親鸞には恵信尼(エシンニ)という恋人がいた。後に妻となる人であったが、釈迦の決めた戒律では僧侶は結婚してはならない。しかし、彼女を愛している。この矛盾に悩み (通説ではそうとも言われているが菩薩僧になれなかったのが本当のところではないか) 十二年間修行を積んだ叡山を下り、この六角堂で百日間参篭した。この時、親鸞の夢に聖徳太子が現れ霊告を受け法然の門弟となる。
 霊告にて聖徳太子の姿をした観音菩薩は、自らの祈願を述べ偈を誦し、願いの趣旨を人々に説き聞かせよと親鸞に命じた。
  本堂北の本坊は池坊と呼ばれ、室町時代以降、多くの生け花の名手を輩出したところで、華道発祥の地として有名、現在も池坊華道の拠点となっている。
 八代将軍足利義政の時代には、床の間には必ず立て花を飾るようになり、同朋衆の中にもそれを専門とする人が現れた。立阿弥、文阿弥という名が立て花の名人として伝えられている。
 1462年に当寺池坊の専慶が佐々木高秀の招きを受け、金瓶を花器として用い種々の草花を活けたところ、洛中の大評判となって見物人がひきもきらなかったと史料「碧山日録」にある。

 〒604-8134 京都府京都市中京区六角町東洞院西入堂之前248

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