2014年11月02日
東山にて
家の近くのバス停には80番と32番の市バスが止まる。80番は祇園行で、32番は銀閣寺行である。 今日は秋の雨の中を祇園までバスに乗り、八坂さんから円山公園を抜けて東大谷廟の石畳の参道を上り、吉水 まで行ってみることにした。
秋の雨の野分になれば真葛原
恨むる風ぞいとど烈しき - 慈円
この歌のように今日は台風も来ているらしい。なにもそんな時を選んで登らなくてもと思うが、思い立つと居ても立ってもいられなくなる性分である。
唐門をくぐって、親鸞廟に少し立ち寄ってから唐門脇の小門を出て坂を尚も登る。安養寺の前を通り過ぎて、鐘楼の前に出た。
安養寺は吉水草庵といって、親鸞が法然の教えを受けた道場があったところである。
鐘楼の裏へ回ると 「ほーたるのいわや約一丁」 と書かれた標柱が立っている。雨の中、足場はかなりぬかるんでいたが、ここまで来たのだからと法垂窟まで登ることに決めた。 途中、道端に雨に打たれて尚、白く健気に咲く藪茗荷を見つけて、シャッターを押した。
法垂窟の前には小さな東屋があったので、少し休ませてもらった。法垂窟も写真におさめたのだが、フラッシュをたいても暗くてうまく写っていなかった。雨も烈しくなっていたので雨粒がたくさんノイズのように写っていた。
法垂窟の石碑を前に「南無阿弥陀仏」と念じてみた。
鐘楼まで戻って、その前の石段を下ると広い知恩院さんの境内に出た。 この雨の中を観光客がガイドに案内されて通っていくのに出会う。 そのまままっすぐ歩いて御影堂に辿り着く。ズボンの裾はぐっしょりと雨にぬれている。靴を脱いで広縁へ上がる。振り返って今来た道を探してみる。雨に煙っている樹林のその奥。吉水へ親鸞が法然の教えを聞きにかよった当時は、今立っている知恩院の境内も真葛原であったらしい。あの杉の大木は若木だった頃、親鸞を見ているのだろうか。後ろでは母親達が礼拝する傍らで子供達の声がしていた。
三門へは下りずに、黒門の方から青蓮院へ抜ける道をとる。 黒門へつながる石段を下りていると、この雨の中を庭師がカッパを着て植木の刈り込みをしていた。
黒門をくぐり右へ折れると青蓮院はすぐそこである。青蓮院の前のクスノキをバックに 「親鸞聖人得度聖地」の石柱を写真におさめる。今日は青蓮院へは寄らずに神宮通りを隔てた向かい側の喫茶店へ入った。
少し冷えた体を温めるべくコーヒーを注文する。ガラス越しにクスノキを見上げながらコーヒーをすする。
親鸞は九つの歳で慈円のもとへ預けられ、剃髪して出家する。親鸞はこの歳既に両親をほぼ同時に亡くしている。小さな体で無常を受止めていた。ほどなく比叡山へ上がり、修行の道へ入るのである。
少し休んで後、喫茶店を出て雨の中をまた歩き出した。
青蓮院の前の道をまっすぐ行くと平安神宮に突き当たる。途中、疎水を渡って美術館の前を通り過ぎ、平安神宮の前まで来たところで、お腹が空いたので昼食にすることにした。 このあたりは通いなれた場所である。独身の頃、一時期だけ御陵(ミササギ)に住んでいたことがあった。 その頃、会社帰りによく立ち寄ったジャズ喫茶がこの近くにある。結構知られた店だったが、ここにはじめて連れてきてもらったのは、社の先輩でジャズ好きのY氏だった。Y氏は入社したときから何かとお世話になった方で、一度Y氏の郷里である長崎へも遊びに行ったことがあった。ジャズの手ほどきもY氏から受けた。
昼食はジャズ喫茶の向かいの中華料理店で定食を食べることにした。 けっこう歩いたので、お腹が空いていた。 ビールも注文しようかと迷ったが、やめておいた。
昼食を済ませた後、ジャズ喫茶へも久しぶりに寄ってみることにした。
店に入るとカウント・べーシーのピアノが聞こえてきた。入り口近くの席に座った。テーブルの上の花瓶には白いトルコキキョウが生けられていた。
あの頃と店内はほとんど変わっていなかた。
こんなことがあった。いつものように会社の帰りにこの店に寄った。その日は残業で遅くなったのだが、無性にジャズが聞きたくて、ドアを開けるとカウンターに座っていた男がギロっとこちらを睨んだ。その男の革ジャンの背中には大きな鷲の刺繍がしてあった。その男は向き直ってマスターと話の続きをはじめた。渡辺貞夫だった。
1時間程ジャズを聴いた後、店を出るとまだ雨は降っていた。滅入るような気分でいると、楽しげにわざと水溜りを踏んで歩く学校帰りの兄弟に出会った。ミッキーマウスのお揃いの傘をさして歩く二人を見ていると我が子と重なって、思わずシャッターを切った。
秋の雨の野分になれば真葛原
恨むる風ぞいとど烈しき - 慈円
この歌のように今日は台風も来ているらしい。なにもそんな時を選んで登らなくてもと思うが、思い立つと居ても立ってもいられなくなる性分である。
唐門をくぐって、親鸞廟に少し立ち寄ってから唐門脇の小門を出て坂を尚も登る。安養寺の前を通り過ぎて、鐘楼の前に出た。
安養寺は吉水草庵といって、親鸞が法然の教えを受けた道場があったところである。
鐘楼の裏へ回ると 「ほーたるのいわや約一丁」 と書かれた標柱が立っている。雨の中、足場はかなりぬかるんでいたが、ここまで来たのだからと法垂窟まで登ることに決めた。 途中、道端に雨に打たれて尚、白く健気に咲く藪茗荷を見つけて、シャッターを押した。
法垂窟の前には小さな東屋があったので、少し休ませてもらった。法垂窟も写真におさめたのだが、フラッシュをたいても暗くてうまく写っていなかった。雨も烈しくなっていたので雨粒がたくさんノイズのように写っていた。
法垂窟の石碑を前に「南無阿弥陀仏」と念じてみた。
鐘楼まで戻って、その前の石段を下ると広い知恩院さんの境内に出た。 この雨の中を観光客がガイドに案内されて通っていくのに出会う。 そのまままっすぐ歩いて御影堂に辿り着く。ズボンの裾はぐっしょりと雨にぬれている。靴を脱いで広縁へ上がる。振り返って今来た道を探してみる。雨に煙っている樹林のその奥。吉水へ親鸞が法然の教えを聞きにかよった当時は、今立っている知恩院の境内も真葛原であったらしい。あの杉の大木は若木だった頃、親鸞を見ているのだろうか。後ろでは母親達が礼拝する傍らで子供達の声がしていた。
三門へは下りずに、黒門の方から青蓮院へ抜ける道をとる。 黒門へつながる石段を下りていると、この雨の中を庭師がカッパを着て植木の刈り込みをしていた。
黒門をくぐり右へ折れると青蓮院はすぐそこである。青蓮院の前のクスノキをバックに 「親鸞聖人得度聖地」の石柱を写真におさめる。今日は青蓮院へは寄らずに神宮通りを隔てた向かい側の喫茶店へ入った。
少し冷えた体を温めるべくコーヒーを注文する。ガラス越しにクスノキを見上げながらコーヒーをすする。
親鸞は九つの歳で慈円のもとへ預けられ、剃髪して出家する。親鸞はこの歳既に両親をほぼ同時に亡くしている。小さな体で無常を受止めていた。ほどなく比叡山へ上がり、修行の道へ入るのである。
少し休んで後、喫茶店を出て雨の中をまた歩き出した。
青蓮院の前の道をまっすぐ行くと平安神宮に突き当たる。途中、疎水を渡って美術館の前を通り過ぎ、平安神宮の前まで来たところで、お腹が空いたので昼食にすることにした。 このあたりは通いなれた場所である。独身の頃、一時期だけ御陵(ミササギ)に住んでいたことがあった。 その頃、会社帰りによく立ち寄ったジャズ喫茶がこの近くにある。結構知られた店だったが、ここにはじめて連れてきてもらったのは、社の先輩でジャズ好きのY氏だった。Y氏は入社したときから何かとお世話になった方で、一度Y氏の郷里である長崎へも遊びに行ったことがあった。ジャズの手ほどきもY氏から受けた。
昼食はジャズ喫茶の向かいの中華料理店で定食を食べることにした。 けっこう歩いたので、お腹が空いていた。 ビールも注文しようかと迷ったが、やめておいた。
昼食を済ませた後、ジャズ喫茶へも久しぶりに寄ってみることにした。
店に入るとカウント・べーシーのピアノが聞こえてきた。入り口近くの席に座った。テーブルの上の花瓶には白いトルコキキョウが生けられていた。
あの頃と店内はほとんど変わっていなかた。
こんなことがあった。いつものように会社の帰りにこの店に寄った。その日は残業で遅くなったのだが、無性にジャズが聞きたくて、ドアを開けるとカウンターに座っていた男がギロっとこちらを睨んだ。その男の革ジャンの背中には大きな鷲の刺繍がしてあった。その男は向き直ってマスターと話の続きをはじめた。渡辺貞夫だった。
1時間程ジャズを聴いた後、店を出るとまだ雨は降っていた。滅入るような気分でいると、楽しげにわざと水溜りを踏んで歩く学校帰りの兄弟に出会った。ミッキーマウスのお揃いの傘をさして歩く二人を見ていると我が子と重なって、思わずシャッターを切った。
Posted by koyuki at 13:00│Comments(0)
│親鸞を訪ねて
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