2012年07月22日
高桐院の紅葉

「 細川藤孝(幽斎)の長子忠興(三斎)により建立された大徳寺塔頭の一である。
高桐院(コウトウイン)の参道は表門から鍵の手に唐門を望む自然石の敷石道である。
この門を入って右に曲がる参道がまたいい。 青葉を天蓋に頂く一直線の参道は幽玄の気に満ちている。
青葉を見上げながら、ガラシャ夫人の辞世の詩を思い出した。
ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の
花も花なれ 人も人なれ
三斎は関ヶ原の合戦で、妻と二人の子を失っている。相手方の三成の墓もここ大徳寺にある。

客殿南庭は江戸時代初期の造園。
楓の樹を主とした野趣に富む庭は、見事である。 静寂が身に染み入るようであった。
小春日和に縁先で寝そべってみたい気がしたが、観光客が多いのが残念である。
ここは頼めば、縁先でお茶を頂く事ができる。
楓が多い庭なので、さぞかし紅葉はきれいであろうと思われる。
石の上に花を栽えて後(解脱)
生涯自ずから是春
意志の弱い私には、解脱するなどとても適わぬ事であるが、しばしの間禅寺にて禅の気分に触れる事くらいは許されたい。
三斎公は織田・豊臣・徳川の三時代に、一貫した精神で身を処した戦国時代切っての知将であったが、利休七哲の一人として茶道との深いえにしによって有名である。
茶道の奥義を究め、歌道をたしなみ、文武両道に秀でた哲理の人であった。
正室細川ガラシャ夫人が織田の反逆者明智光秀の息女という不利の時代も光秀にくみしなかったのは、三斎公が武人として時代を超えた明晰な洞察を持っていたゆえである。
ガラシャはキリスト教の洗礼名であり、本名は玉子という。「天性の国色、容貌の美麗比類なく、精神活発、鋭敏、果決心高尚にして才智卓越せり」と日本西教史にも書かれているほど、美しい人であったらしい。
〒603-8231京都府京都市北区紫野大徳寺町73
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